
奴≠ェ中学2年生の日記帳がでてきて、担任の先生が拙い下手な日記を丁寧によんでくださり、ある日赤ペンで先生がが土日のまとめ書きの奴≠フ日記への添削と感想を添えてくださったことが、奴≠フ自信というか勉強をしてみようというきっかけになったことが確からしい。
「日記に表われる○○君。とても円満な人だなと思う」この言葉が奴≠フ性格の良さを引き出したらしい。
五月十一日(くもりのち雨)
一時間目演説があったので、一時間ずつくりあげられることになった。二時間目は課外体育があったので数学が抜けてたすかった。教科書の90ページ、91ページの宿題をわすれていたからだった。数学は問題をとくことがかんじんである。その宿題をわすれたのは、えらいことをしたとな、と思った。
奴≠ヘ担任の先生にだす日記にもかかわらず、バカ正直に自分のつなない日常を隠さずに書く傾向があった。
担任の先生が数学担当だ。だから数学ができないと話にならないのに、自分のドジなことを平気で書いているのだ。しかもヘマしたり勘違いしたり、問題を読み違いしたり、しかも奴≠ヘお隣のばあさんから中学二年になり塾に通いなさいと強引に言われてお隣に行くようになった。勉強する場所がないので、高校生になり坪庭に義兄が一畳ほどの勉強小屋を付け足したら、家主さんに大目玉を両親がくらったいきさつがある。ちゃぶ台があいていなければ机などなかったのだ。それでもあの日記の先生の赤ペン文字は先生への信頼につながったのは確かで、奴≠フ日記はどんどん馬鹿正直な日常が綴られており、奴≠フ傾向は変わる様子がなかった。
五月十四日(日)うすぐもり
数学の問題集をやった。P3の【4】ハと【1】ロが全然正答とあわないので、ぼくはなんかいもやってもあわないので答えを信用しなかった。どうも数学の答えが合わないので、数学は、すぐやめてしまうことが多いので、下がってきているように思った。
五月十六日(火)くもりのち雨
今日は塾で、できたら見せてあっていたら帰っていいので、ぼくはすらすらとできた。見せたのは二番目だったが、一番に出した○下君はやりなおしの場所があったので。ぼくは一回でやりなおしなく帰れた。今あまりいい調子でない数学が塾で一番早くできたので、うれしかった。ぼくは真剣によそごとを考えないで勉強するとよくできるんだからやる気を持って努力しようと思う。
「まず何よりも自信をもつことです。がんばりましょう。」
先生のこのような励ましで夏を過ぎると鉄棒は上達するし、友達つきあいも活発になるし、行動範囲もひろがり、自転車で八尾飛行場の軍事施設跡地見学までしていた。また、あびこプール通いもはじまっていた。
奴≠ェここで書く小説の主題は温人NOTEの「チェックメイト編」に連なる行動だった。奴≠ヘ大淀吉野町の息子の家に間借りして息子の寝小便対策と拒食症対策の食事改革から始める必要があった。2013年の一月末に相模原を脱出し、息子との対話を始めることになった。筋肉質だった息子が口に入れたものを手を入れて吐き出すことによりウオッシュレットぼ暖房便座が詰まり便座は暖房便座だけのの物に変わっていた。あちこちの壁紙が糞まみれでとにかく臭い。それを家主がファブリーズやその他消臭剤を並べているものだから、異様な臭いが鼻をつく。
「朝から家主の怒鳴り声起されるというより、奴≠ヘ早速CLの決勝トーナメントを見るために当時独占放映していたCSの衛星放送の欧州サッカーパックに入った。いまは、それが不要なダ・ゾーン加入によりほとんどの欧州リーグの中継が見ることができるようになった。ともあれ、奴≠フ間借り生活は息子の日常生活をもう少しまとにすることだった。そこで、サッカー観戦に連れ歩くことにした。痩せた体はこの一年の息子の苦悩を表していた。この状態でキツイ安定剤の処方で自閉症の発作を抑えるのは人間扱いしないような感じだ。この日常の回復はやがて、息子と一緒に可能な限り朝飯を一緒に食べることから始まった。
奴≠ヘ同時に温人NOTEの「チェックメイト」のために百均で買ったNOTEにmemo書きすることも始めた。曰く教科書というか話の糸口は『ゲルニカの子どもたち』(ヘルマン・ケステン 鈴木武樹訳)だった。奴≠ヘ本当は「日琉同祖論」に歴史問題があると常に感じており、奴≠ェ姫∞女王≠ニ認めるファンの温人くんの母親を通して直接的に語り始めなかった深慮遠謀は正しいかどうかはともかく、『ゲルニカの子どもたち』には温人くんとおんなじ年齢の少年の目線でゲルニカで何が起ったかが描かれているのを奴≠ヘ共通認識の体験にしたかった。曰く訳者の鈴木武樹はあとがきの小論でその内幕を書いている。
《あの悲惨な第二次大戦の戦前・戦中をつうじて西ヨーロッパ社会を席巻した悪魔の美徳が悪徳とは際立って対照的に、突如として人間の美徳が晴れやかに世界のなかへ躍りでて、、ケステンはそれの目撃者に、証人になったのであろうか? と、自問したい気持ちに駆られる。》と書くように、
《『ゲルニカの子どもたち』(1939)でもたとえば、あの利発で??に少年らしい少年カルロスは、「最近ヨーロッパのは町々で幾千なく見かけられる、スペインを逃れてきた子どもたちの――われわれの世界の善意≠フ証人たちのひとり》だということを述べこの物語のカルロス少年の目撃証言もさることながら、その作中人物たちはみな《小心な善意≠フ人》となのだということを示してみせた。
というわけで、温人くんがどういう観察眼を示すのかわこの物語にはわからないことがほんんどだが、カルロス少年の目は野坂昭如の『火垂るの墓』などに鮮明であり、『少年H』などは妹尾河童の自伝小説になり、どちらも映画やアニメ映画になっている。
奴≠ヘきまぐれで、カルロス少年が観察した人物の如き個性豊かな描写はない。しかし奴≠ェ温人くんに見せた眼差しは、奴≠フ良い部分をひきだしたのは確かで、奴≠フいう姫∞女王≠ノ対してももその寸劇のような緊張感はお互いに笑えない事実に支えられてきたが、その残骸はともかく『温人NOTE』が誕生するきっかけは2012年の悲劇的な解散総選挙と都知事選のダブル選挙にあった。
カルロス少年は実に観察眼が細やかです。たとえば、父親が
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