2014年09月06日

築地市場豊洲あられ 羽琉多筆記の逆襲! 実験小説無料公開第2弾!




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  築地市場豊洲あられ 羽琉多筆記の逆襲!(その1)


                        数詞 一
実験小説無料ブログ公開第2弾です。
だらだら、長い。しかし流し読みできる構成。
関係者でなくても読んでもいいですが、
反応があるのかないのか筆者にはわかりません。
それゆえの実験ブログ小説無料公開なのです。









    序



 新構想小説の第二ラウンドは仮題『築地市場豊洲あられ』築地があふれた!!2009 壊すな築地 6.27 東京大行進!!
わざわざ猛毒の汚染地になぜ中央市場?イシハラさん、どう考えてもおかしいよ!  羽琉多筆記の弾き語りかな。愛の讃歌カバー効いたもんな。

 何を書いているの。んたくっ! わたしのファンにあのおじさんやおばあさんまでいるのはうれしいけど、あのおじさんはいやいまはオジンいや、安邑さんの口癖移っちゃったけど、なんでもかんでも届けてくるのよね。だって、築地市場の豊洲移転反対デモいっていながら、いきなり「愛のお品書き」を築地市場の和紙に透かしの入ったメニュー用紙に書いてくるなど、普通の還暦過ぎたオジンはしないよね。でも、あれ見たらわたし、あっ! またやられちゃったって思っちゃったのよね。あのオジンね二〇〇六の「HIIKI UNITED」でなんと真夏の暑い日にあのオジンの仕事絡みのスケジュールもあったとはいえ、出張費もでないのにね、突然なんの前触れもなく、奈良・吉野から六時間もかけてさいたまスーパーアリーナに来ちゃったのよ。わたしさ、ナゴヤレインボー会館に来たのは気づいたのよね。

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少し当日券もあったし、大きな声ではいえないけど小さな声でいうとね、ダフ屋さんもでていたようだしね、ナゴヤ球場で仕事していたし、その仕事が五時にはおわったので、十分に七時の開演には間にあうのはわかっていたけど、わたしは大阪城ホールの二日間の公演のときには、うん、も、すん、もなかったんで内心がっかりしていたんだけど、まさか、ナゴヤレインボー会館に続いて、さいたまスーパーアリーナに来るなんて、考えられないでしょう。以前からの熱心なファンならわかるのよ。でも、そうじゃなかった。いきなり「Be My LaSt」があのオジン、あっ、わたし完全に安邑さんの口癖が乗り移っちゃった。あの詞やメロディが気になりだし、わたしの若いときのヒット曲のCDやPVのメーキングのDVDなどを買い集めだして聴きだしたらしいのね。だから、あのオジンは「Automatic」や「FirSt Love」ぐらいはメロディ聴いているとは思っちゃっていたけど、まさか、あの曲かよ、って感じなのね。だって、あれはわたしの一年五か月ぶりのシングルで十四枚目なんだけど、あの曲は三田雪路の小説『豊穣の稲』シリーズの「春の夢」の映画の主題歌なんだけど、あんなオジンが文学など興味ないっておもっちゃっていたからさ、あんな曲や詞に興味持つなど考えられなかったんだ。ところが、「愛のお品書き」のメニュー見せられると、どうしようもないおっさん、いやオジンのくせに、何か引用の詩が刺激的なのよね。 例えばさ、奴、いやあのオジン、わたし完全に安邑さんが乗り移っちゃった。きれいな和紙に筆ペンで「愛のお品書き」十枚とか贈っちゃってくるのよ。変でしょう。もう病気ね。しかも、いきなり中原中也の詩とか書いているの。

《   夕照

丘々は胸に手を当て
退けり。
落陽は、慈愛の色の
金の色。

原に草
鄙歌(ひなうた)うたひ
山に木々、
老いてつましき心ばせ。

かゝおりしも我ありぬ
小児に踏まれし
貝の肉

かかるをりしも剛直の、
さあれゆかしきあきらめよ
腕拱(く)みながら
歩み去る。

             中原中也》


 あたしさ、桐谷健太クンと結婚して仕事もプライベートも順調だったし、鵜飼浩さんなんかにも『JPOPとは何か』って本で羽琉多筆記は、日本のポップシーンを変えたとかいうお褒めのことばいただいちゃっているんだけど、また、英語の歌詞も調べてくれて、いわゆるジャパニーズ英語ではない見事な歌詞だって褒めちゃってもらっているんだけど、三田雪路の小説は読んでいたけども、このお仕事するときはまだ、映画の脚本もこの「春の夢も」読んじゃってなかったの。それにキーボードでの作曲もなんか飽きていた感じなので、エレキギターで作曲してみようって、ロサンデルスで作業したんだけどさ、アコースティックでなかったのがかえってよかったみたいね。電源コードは入れないでジャンジャカジャンジャカ強く弾かないと音がでないのね。だから腕が筋肉痛になるくらい一生懸命にずっと弾いた。それでできたのね。だけどあのオジンは映画は観ていないのよ。しかしPVは気になったみたいね。桐谷健太クンと話して映画とは違うけれども物語性はあるけれども…その話は長くなるからあとでするとして、『春と夢』は行人帝都監督の映画主題歌ってことだったんだけど、わたしは自分が聴きたいものをつくりたいって、生意気いえば考えていたのね。だからさ、なにか映画の中の大正ロマンっていう貴族社会の侯爵家の子息と伯爵家の令嬢の儚くも美しい悲恋物語なんだけどさ、この小説の聡子の立場からすると、自分が育んできたもの、ずっと思いを寄せていたひとと一緒になれたのに、その愛を終わらせなければ二人とも破滅してしまうっていう状況になったとき彼女はその愛を終わらせよう、やめようって思うのね。たぶんそのような気持ちや決心って、恋愛意外にもあることで、自分で自分が創ったものを壊さなきゃいけないってことあるよな、その気持よくわかるなって思ったんだ。
ひとのベースって親子関係にあるじゃない。それこそ人類史的にもなんちゃっておおげさに考えればさらにいえば生物史的にもね、だからさ親がいて子がいて死んで生まれてっていうか、輪廻転生っていうか、そういうところへつながっちゃうんだけど、それが波のように盛り上がって津波になって災害起こして、またおだやかになってまた盛り上がって、そう、海こそが生命を尊重しているな、って思っちゃうと、3・11のあとから思うとなおさらなんだけど、人間は複雑でせっかく築いたお城をグチャってつぶしてまた築き直すっていう、その繰り返しって思っちゃったのね。だから、評論家には「歌詞はとても言葉数が少ない。しかし少ないひとつひとつの言葉に重みがあり、何度もくりかえされる、♪ああ〜ああああ〜、っていう声に言葉以上の感情や祈りを刻んでいた」とかいわれちゃったんだけどさ、ま、そこまで言われると照れちゃうけど、言葉のない部分にだって言葉以上の想いは込められているって感じることはできると思う。最初の♪かあさんどうして♪の三行で自分のいいたいことがいいきれちゃったっていうのもあるんだけれど、自分の中で言葉じゃない部分で何を伝えるかっていうのが最近のちょっとしたテーマなの。頭の部分がよくなきゃ、いくら後がよく言えてもダメだって思っちゃっているから、あの頭の部分でいいたいことが言えちゃった! って言えるくらいのものができたことで、言葉がいらない部分がわかったりしたんだよね。

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 若きゆえの今も若いんだけどさ、いっちゃうとね日本語の歌を考えさせられ、結局、日本語がいちばん合うのは、歌がメインだってことね。言葉を聴かせられるのが一番大事じゃなきゃいけないな、って。だから気持ちの込め方が大事なの。集中していると、その世界に入りこめるじゃない?
いっちゃうとね、あのオジンはそこにはまっちゃったのよ。だから小説読んでいないし、映画主題歌を聴いてもいないのに、これ聴いてあたしにいかれちゃったのよね。まさか、この曲で止めさしているなんて夢思わなかった。だって、奴、いやあのオジンのことなどかまっちゃっている暇なかった。だって、二○○四年には国外レーベルのアルバムだしているんだしさ、まだ「イケイケライブ」から「筆記の5」までデビュー以来恵まれすぎてふりかえっちゃう余裕もなかった。だから、新しいシングルにも新しい試みを作曲にも作詞もしたんだ。それが、あのオジンの琴線を捉えちゃう。世の中わからんもんだぜ! なぜ、そんなことを実感するかというとね、奴、あのオジンわたしが「人間宣言」して横浜アリーナで二日間のライブおこなったときね、奴が来れる機会つくってあげようと横浜の鴨居はじめとして全国で劇場中継のパブリックビューイングもやったり、USTREAMの中継もやったのね。二日間でプレミアムついちゃったから、まずはチケットはでないわよね、それで、奴があることで、あっ、わたし言葉にならない想い伝えるってことで、言葉で伝えるために『シングル・コレクションU』にデビット・ピアフの「愛の讃歌」のカバーやったり、それこそ奴に止めさす5曲を捧げちゃうつもりでさ、奴≠ェどうするか、もうオジンはやめる。親しみこめて奴にする。羽琉田筆記はちいさなえくぼをすこしへこませて少し微笑んで、いたずら娘の顔になり、電話口で奴のクレジットカードのリボルディングについて説明していた。
「リボルディングの月の支払い額は五千円か一万円かをえらんでください。金利は月14パーセントかかります。途中でリボルディングをやめる場合はお電話ください」
 感情は平板で沈着冷静な羽琉多筆記は今日から横浜アリーナでライブやるっていうのに、がっかりしていた。奴はデータカードしか持っていないので、約百万ビューもあったUSTREAMもフリーズして動かなかった。テレビでスコットランドまでいってコーラス入れた「♪ああああ〜」のコーラスは奴にとっては、別れの最後通牒のように聴いていた。ってわたしはいいのよ。でも鴨居でのパブリックビューイングも来ないっていうほど、奴も我慢の日々だったってことだったのでしょう。その後奴は3・11があって以後、沈黙した。糖尿病のヘモグロビンA1cが突然従来の薬で下がらなくなったってこともあった。便秘と下痢を繰り返す。処方された薬が合わない。疲れが取れない。孤独に強いオジンといってもあの一瞬の津波の惨劇や福一の原発の水素爆発の映像を朝から番まで見ていたら、不安は隠せなくなっていた。しかし彼はその辛さを乗り越えて、実の弟に「兄貴死んでないのに墓の名義変更するって管理会社に変に思われた。書類いれとくから委任状に判押して送ってくれる」といわれたらしい。しかし奴はよく耐えたと思うな。先祖の墓の管理とご先祖の仏壇の移転というのを、辛い体ながらも吉野X町に帰ってきてやり遂げた。義理の妹には面を向かって「頼りないからアカンわ!」とまでいわれてやりきった。自分の生きる流儀の大義のために小異は捨てずに、頼りない兄を演じきった。元嫁にも毎日嫌味を言われた。息子の世話でここは我慢と決めたらやり切る、奴の凄さは安邑さんの東京ドーム公演で林檎嬉々さんと一緒に知ることになっちゃったんだけど、この話もいましないわよ。だって、悔しいじゃない。もっと悔しいのは、わたしにあんな、秘密のUSBを送り付けてきたっていうのにさ、奴が二〇一二年になって、六月から思いっきり世間というか世界というかを騒がせたことよね。だって、わたしは八月まで蚊帳の外だったのよ。自慢じゃないけど奴はわたしを袖にしたことはない。だって、「愛のお品書き」以後も怒涛の攻勢できちゃったのよ。証拠見せないと納得いかないっていわれちゃったら少しぐらい披露してもいいわよ。奴は突然、プロポーズしたの。わたしじゃない。わたしも恋人はいる、でも、奴に選ばれたら、いいんじゃない、っていう気もかつてはあった。しかし奴の基準は女はまずは三十歳っていうのがあるのね。わたしも覚悟決めて参戦したのよ。八月九日の下北沢タウンホールで行われた「ごらく亭の夏休み」に。細かい奴≠フ六月以後の行動は省くは。ややこしくなるからさ、ただ奴は秋田のわらべ座へ旅行した。そこでの話も省かないと長くなるからさ、八月九日に絞るわね。安邑さんほどの情報網はもっちゃいなんだけどさ、わたしにも所属事務所の頭のいいマネージャーさんがいるから、必要に応じて変かしれないけどさ、情報を集めてくれるのね。小田急梅ヶ丘で「凜々群」の芝居観たとかさ、そこの待ち合わせ場所で次々にいろいろなひとが現れて、ベガさんはバスの時間、駅員さんに聞いてさっさと奴≠フ前から消えたとか。ボクシングの世界チャンピオンのお母さんとは仲良く世間話していたとか、ア・レとかいうギターエフェクトじゃないエレキヴァイオリンでエフェクトする美人アーティストと突然ご対面したりしたが、有名ブロガーのとらちゃんの娘さんの味雷さんが奴≠ニのデートをすっぽかしたとか、いろいろな情報が入ってきちゃうのね。
奴が『ごらく亭の夏休み』の夜の部に行く気になったのは、ふられて時間を持て余しちゃったからなんだけど、睫毛長師さんの存在が大きかったんだって知らなかった。なんと睫毛さん立会で、ベガさんのプロポーズ小説が届けられたんだって。わたしさすがに頭にきちゃった。だったらウソだと思うなら、これがあるんだからって、長いメモのような原稿の束を羽琉多筆記はひもときだした。奴が二○○六年の九月のわたしの松山公演に来れないからって、わざわざ吉野からアレンジメント贈ってきたのね、その中にふざけるんじゃないかって思っちゃったんだけど、TIGERS仕様のオリジナルUSBを忍ばせていたの。後年の『DAISUKEより大好き』のUSBのような大胆な「筆記開発中」とかいうようなものにはおよばないけど、さらりと「好き」とか言われたら、奴はもううちのお父さんと比べられない、バカなオジンだけど杉アレルギーになるほど衝撃だったのね。松山のアリーナは杉でできていたのね。で、わたしは杉アレルギーを克服するためにおぼっちゃんシールを内緒で買ったらさ、スタッフの連中も気を利かして買っておいてくれたので、三つもペタペタ貼っちゃった。

《羽琉多筆記さん江

    予感

感覚が知覚されるモノに
       左右され
愛されるように

愛するモノは

愛されるモノによってのみ
         左右され
知覚される

いや知覚できる。

First Loveへの感覚

二〇〇九年七月二十四日
     
ハジメ    》

《 座右の銘

ゴルトムントがナルチスに目標を尋ねた

「自分がいちばん仕えうるところに、自分の流儀や特性や天分が
最上の地盤と最大の活動の分野を
見出しうるところに、常に自分を置くことだ

ヘルマン・ヘッセ『知と愛』より。高橋健二訳》

 こんなヘッセとか下手な自作とか中也の詩とか書き連ねてきたり、たまに下手なイラスト描いていたり、とにかく幼稚ね。しっかりしろや、って思っちゃうこともあるんだけど、奴≠ヘ詩の流れ見ると人生を人間が生きるっていう行為をしっかり抑えてある。これねっとそのシルバーブックの頁を開いた。

《寒い夜の自画像
         中原中也

きらびやかでもないけれど
この一本の手綱をはなさず
この陰暗の地域を過ぎる!
その志明らかなれば
冬の夜を我は嘆かずとして、
人々の焦燥(しょうそう)のみの愁(かな)しみや
憧れに曳き廻され女等の鼻唄を
我が瑣細なる罪と感じ
そが、我が皮膚を刺すにまかす。
聊(いささか)か義文めいた心地を持って
われはわが怠惰を諌(いさ)める
寒月の下を往きながら
陽気で、坦々として、面(しか)も己を  売らないことをと、
我が魂の願ふことであった!

二○○九年  七月二十二日  》

 まあ、こんな調子で七月に攻めまくられちゃったんだけど、こんなのもある。

《告白
 やさしい光よ、おまえの戯れ(たわむ)に
喜んで身を任せている私を見よ。
他の人たちは目的、目標を持っている。
私は、生きているだけで、もう満足だ!

いつか私の心にふれたものはすべて、
私がいつも生き生きと感じていた
無限なもの、唯一のものの
比喩に過ぎない、と私には思われる。

そういう象形文字を読むことって、
いつも私に生きがいを与えるだろう。
永遠なもの、本質は、
私自身の中に住んでいるのを私は知っているから。

      二○○九年  七月三十一日 》


ま、いくらでもある。パロディの絵本原案まである。そりゃね、あの六・二七の「築地市場豊洲移転反対デモは政権連立の自営党と公民党意外は超党派で盛り上がったたんだって。わたしは仕事が忙しかったので様子見もできなかったんだけど、たとえばあのウジお台場テレビの超有名女子アナの高峯文さんまでコスプレで登場してきたんだって。そりゃ受付準備から凄い熱気よ。あの高きことハリファ・ブルジュ・ドバイの尖塔の如しというあの高峯文さんが祭りのハッピ着込んで胸に晒し巻いて豆絞りの手ぬぐいいなせに巻いて素足見せて登場したんだから目立つよね。奴≠ヘ早めに行きまだ団体とか来ていないときに、受付のいなせな高峯文アナ見て、これはネタにできるって咄嗟に思いついちゃうんだけど、奴≠ヘ冷静なのか天然なのかよくわからないじゃないの。あの高峯アナなのよ。ウジお台場テレビの人気ナンバーワンの女子アナよ。しかも恋人は「橙」の人気ユニットのシンガーソングライター喜多村天神よ。だから奴も高峯アナと仲良しの中野aaさんにはバラマキやっていたけど、高峯アナは恐れて近づかなかったのに、なんと彼女の方からこんなところにでてきた。ネタにする格好の材料じゃないの。それでさ、わたしには実はシルバーブック以前にも、『シコ・ムナカタシリーズの大好き!の第一項をファイルにプリントして贈ってきたり』なんのことか分からないかも知れないけれど、要はわたしの翻訳した『エミリー ザ ストレンジ』のパロディなのね。奴はブログで公開しているから、関係者には気になるブログなのよね。閲覧者は大したことないんだけど、なにぶん反響は日本はもちろん世界に及ぶらしいのね。そこがわかりにくいんだけど、なぜかそういうルールになっているらしいのね。ここで張り切っておられたのが真正日本党のあの『なんとなく、クリステル』の大ベストスラー作家で元長野県知事で国会議員になった党首の三田八筋さんよね。「噂の真実」などでペリロペ日記書いたりする一方で長野知事では少数与党として、長野県のボス官僚にいきなり名刺を破られたシーンがニュースで流れて有名よね。長野県は何分、冬期オリンピックのツケが県民を苦しめていた。あれだけ自然ぶっ壊して日の丸挙げたからって、オリンピックの財政疑惑は消えるものではない。なんと冬期オリンピック終わった当時で県民の借金負担がひとり三六〇万に達しているといってたじゃなかったかしら。わたしは十五の小娘で、デビューに無我夢中って感じだったんだけどさ、長野新幹線の影響は途中下車しなくなった影響で周辺観光地は大打撃を受け、しかも、巨大施設のビックウエーブは三百五十億もかけたっていうし、維持費どうするんだろうって思っちゃうほどでしょう。その維持費どころか財政疑惑を追及されると官僚たちは焼いたとかいいだした。ところが長野県の体質を憂い改革しようと三田八筋知事は敢然と官僚たちに立ち向かった。その辺りのことに少しふれちゃうとね、話ごちゃごちゃになるからさ、三田八筋さんの精力的なのは、解散総選挙を睨んで、参議院議員から兵庫八区に鞍替えした行動力にあるんだけど、勇気あるよね。打倒公民党ってことで、狙っていたのね。普通できないよ。参議院議員やっておれば、向こう数年はまだ安定収入も国会議員党首としても、作家としてもいいことづくめなのに、もう、この「築地市場豊洲移転反対」って立場を表明しちゃった。公民党は当然、頭にきちゃった。何が「芝刈りだ!」って解散総選挙の前には兵庫で事務所借りようとしたら、不動産屋さんが全部嫌がらせで貸さなかったっていうぐらい大変だったんだって。それで、なんとか知人を頼って事務所開きできて戦ったっていうのは記憶に新しいわね。何をやるにも行動が早い。作家としても若くして秋田川賞取っているから、『なんとなく、クリステル』は当時の年表ひもとくと凄いって実感できるわね。中道保守のリベラルとして、原発再稼働反対デモなんかでもさ、白い風船運動をしたり、組織では思いつかない発想で風船手に掲げての抗議デモなどは好感もたれたんじゃないかしら。確かボランティのみなさんも大勢手伝っておられたよね。でもね、なんとしてもおかしのは三田八筋さんの『三田綱坂、イタリア大使館』よね。わたしも気がつけばイタリアの若いバーテンダーと再婚しちゃったんだけどさ、あの本に出てくるイタリア男って本当に厚かましいわね。わたしの彼はそんな露骨なことないからいいんだけど、正体はまだ気づいてないからかもしれないわね。ところで、わたしの情報網でつかんだ高峯アナウジお台場テレビの内容はね、実は、錯乱アンネさんから入手したの。錯乱さんは奴のアパートの隣、つまりひとつ屋根の下で半年か一年近く暮らしていたから、情報は確かよ。だって、白猫宅配の格好して奴の宅急便やメール便の集配に行ったりしているのよ。そのときに思わず高峯文さん宛の伝票を見つけたものだから、
「わあ、高峯文さんもあるんだ!」って叫んじゃったのね。で、ばれたみたい。なにしろ、奴は高峯文さんにデモ受付のときに、「お名刺は?」って問われて、名刺を作っていなかったので、デモの帰りに相模大野の判子屋さんで頼んだのね。そのときなぜか俳優のATTACKの司会もする方が主人で奴の名刺の原稿を見て「こんなお名刺作って何企んでんねん!」と言われたそうだけどね、その名刺は一部の女性の間では有名人でも欲しいって思っちゃったひともいた見たいね。
「ラ・マンチャの男琉 ドン・キホーテクラブ」とか書いちゃってるのね。いまの携帯のメールは筆記とか入っていてうれしいんだけど、わたしがアップルのスマホのIphoneなどを横で見せても反応しないんだもん、見せた場所が悪かったんだけどさ、あっ、この話はいまはしたらだめじゃん。と羽琉多筆記は、いけないっと、少し眉間にしわをよせてはにかんで見せた。ライブだと、「みんなついて来いよ! 出発進行!」とかいえるんだけどさ、こういう話はいくらでもあるけどあまり自分目線から言い過ぎると嫌味にならないかなって思っちゃったりしちゃうじゃない。だからやめます。あなたちの知りたい高峯アナのネタの資料を読んじゃうからね。おもしろいよ。だって、築地市場豊洲移転反対から、こんな展開になるんだから無責任にいっちゃうと面白すぎるじゃない。


   二



《前略

突然のお便り失礼を顧みずにだすこと寛恕賜りたくお願い申し上げる次第です。

ラ・マンチャの男
ドン・キホーテクラブへの招待状にかえて

高峯 文 様

 お約束通りと申しますか、ツイッターで書きましたように、わたしの尊敬してやまない江上波夫先生の著作集から、メソポタミア文明発掘のドイツ考古学者とイギリスと日本チームとの違いについてトレビの泉≠メモしておきます。

『歴史、人間。旅』江上波夫著作集12
 
一九五七年(昭和32年)東京大学イラク・イラン遺跡調査団が行ったとき、五カ国の発掘調査隊が来ていた。
北メソポタミア テル・サラサーと(テルール・エソ・エツ・サラサート)に日本隊、同じく北メソポタミア ニムルドというところにイギリス隊
南メソポタミア ワルカ(ウルク)というところにはドイツ隊
東イラクのシャンダールにはアメリカ隊、ドカンというところ北方にはデンマーク調査団。年明け一九五八年イラク考古学界は第二次大戦後、もっとも国際色豊かだった。
イギリス隊にはロンドン大のマロワン教授。マロワン教授はアガサ・クリスティのペンネームの夫人が同伴していました。アッシリア最盛期にエルムドで巨大な天主の倉庫を発掘するなど、その手法は、人夫百四○名を雇って、ピクニック気分で調査研究しているようだったそうです。本部の建物は応接間兼食堂のサロン、研究室、置物貯蔵庫。暗室。厨房があり、家庭的雰囲気で団欒の場であり、団員の仕事も二時間交代、大綱的なことをシャルガティという人夫の頭に任せる。しかも遺物に重点を置き深い井戸の水をさらい発見した婦人頭部の象牙彫刻は二シーズンを擁したそうです。しかもイスラムの休日(金)やキリストの安息(日)は休まずに月曜日を休日としていました。つまり遺跡発掘を見学に来る人たちへの便宜と宣伝をしていたのです。
ちなみに宮殿はナラムシン王(前二三○〜前二一〇ごろ)、婦人像頭部はアッシリア時代(前七一五年ごろ)の象牙彫刻で「モナ・リザ」といわれたそうです。五八年に発掘した天室の倉庫は、列をなしたぶどう酒貯蔵用大瓷数十などと共に、象牙彫刻の立派なモノを多数発掘したそうです。
 マロワン教授が発掘に携わって二十五年、しかし二カ月の発掘のために、二年の準備が要るという。その準備つまり、「考古学者のコネと政治」問題。アガサ・クリスティをもってしても考古学とは何と気骨が折れ、忍耐を要する学問であるか≠ニいう話です。
ところで長くなりますので、ドイツ隊の話に移りましょう。
 東メソポタミア、ワルカ(ウルク)ドイツ隊を率いるレジツェン教授(ベルリン大)らが発掘をはじめてすでに三○年。今後三○年はこの遺跡に取り組まないとと語り、この ワルカ≠ニいう調査団でレジツェン教授が五代目。なんと広大砂漠の中、原シュメール時代(前三五○○年)から発掘した遺跡を(周囲九キロ)数人の学者で三○年かけて半ばまで発掘、今後三○年をもって全部発掘するという壮大な構想だった。
発掘現場では、煉瓦りの恒久的宿舎を造って、ドイツ風文化を砂漠の中に持ち込み日常はドイツ文化だった。
 建物は四角に中庭を囲んで配置されており、食堂と応接間をひとつづきにした居間、厨房、写真室、製図室、遺物修理室、建物保管室、厨房のほか二台ずつベッドの入った個室(五、六室)からなり、朝七時起床。朝食の時間は定めないが十二時から昼食、二時に休憩。午後五時に一回応接室で喫茶、七時衣服あらためて夕食。九時にそれぞれの部屋へ、発掘の特長は建築偏重で、「現在でも建築に重点を置く学風はけっして衰えていないと、彼らの発掘現場を見て私は痛感した。」と江上波夫先生が記しています。
壁の煉瓦がどのように重ねられ、組み合わされているかが綿密なのに、出土した土器や石器やモザイク石の遺物放置。ベドウィンの子どもたちが協力していたそうです。ドイツのサッカーおもしろみかくけれども強固な意思を感じるのはこの伝統でしょう。
ところで日本調査団ですけれども、もっとも準備や装備もよく、経済性援助さえ続けばイラク国および学界に負う学問的責務を立派に果たしうるという、ことだったのですが、今後一○年を期してテル・サラサート遺跡の完全な学術調査成ったのかどうか? 著作集にはその後の著述がありません。

ブッシュのイラク侵略戦争で、東大日本調査団が発掘していたテル(墳丘)のひとつ、いや五つあったが空爆で破壊されていないことを祈るものです。
わが国の発掘に置き換えると、古代史の宝庫の天皇陵といわれる調査が事実上できない現実があります。
平城宮は朱雀門の復元されましたが、発掘調査すべき遺産は道路工事や大規模開発のついでに、やっかいなモンでてきたことになるのが現状です。現代のシュリーマンになるにはフォーブスに掲載されるような持丸長者になりその資金をつぎこまないといけません。
高峯文さんのような聡明な女子アナウンサーなら。サブキャスターとして、このような話題にも少しは興味を持っていただけるかと存じまして、イリュージョンもいいのですが、実際原子力発電所一基作る予算で、膨大な発掘ができるのです。
いま、江上波夫氏のようなスケールの大きい考古学者は残念ながらいません。
若い研究者が育っているとはいえ、細分化ミクロ部分に研究が行き過ぎて、ちっともおもしろくありません。
つまり、飛鳥などの埋蔵文化の宝庫に、立派過ぎる箱物造って、運営に困るという愚を見て大変に残念に思っております。

末筆ながら我がドン・キホーテクラブの招待状としてお気に留めて置いていただければ幸いと存じます。》

これ読んだだけじゃ、奴≠ヘまともって思えちゃうんだけど、その後がおもしろいんだ。付録に千代紙を折って、インコやお魚を貼り付けていたんだよ。おかしいでしょう。奴、還暦過ぎてるんだよ。オジンなのよ。それが招待状の付録がインコやお魚の折り紙だって…わたしも正直に告白しちゃうと、ドン・キホーテクラブの招待状届いたよ。そりゃ届いた方がうれしかったけど、シルバーメタリックでレインボーに輝くインコ折り紙には、ずっこけちゃった。しかも色紙にイラスト描いていてさ、その下手さはおいておくとして、表参道のワールドのマネキンをモチーフってやり過ぎじゃない。描くならたまには高機さんのように美化して描いてよ;んったく。でも怒ってないんだ。名刺の携帯メールアドレスは筆記が入っちゃっているんだもん。ところで高峯文さんの招待状にはドバイのハリファ一族の象徴のブルジュの尖塔が描かれていたんだよ。なんでも調べればわかっちゃうだけどさ、その後の方が本当はおもしろいのよね。ライブ気分で「まだまだ突っ走るから、みんなおくれずについて来いよ!」と羽琉多筆記は自分のTravelingのマーチっぽい前奏を口ずさみながら、つぎの原稿を読みだした。
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《拝啓 高峯 文 様

 昨日は着払いという失礼な方法で、私的物語ファイルを公開したことをお許しください。ごめんどうでしょうが、ご迷惑でしょうが、もう少しだけわたしの物語を読み流してください。とにかく気分はご機嫌さんです。あなたがジーンズが良く似合いまた、江戸三社祭りの女性神輿担ぎのいなせな法被に豆絞りの鉢巻に胸元はさらし巻き、股引の白さ、太もも溌剌粋≠ニいう言葉は日本女子アナウンサー界の東京タワー、いや富士山いや、モンブランいや、キリマンジャロ。いやアイガー北壁に望むハイカー、いや厳冬期にチョモランマに無酸素ボンベで単登頂をめざす奈良・修験道の大峰山しか登山経験のない無謀すなわち高きことブルジュ・ドバイ・ハリファの尖塔のごとし憧れのご尊顔を生で見損なうなんて残念でなりません。》

いきなりなんのこっちゃってなるんだけどさ、三田八筋さんの『三田綱坂、イタリア大使館』の小説に絡めて、さらりっと番組批評的なものを入れている巧みさ、奴≠ネらこれぐらいの偽装っていっちゃいけんいだけど、やるんじゃないかって思っちゃった。解説あとからまとめてもいいだけど実は奴≠ニ表参道でちょっとしたラブラブな時間を過ごしたからさ、つい思い出しちゃうんだよね。それはさ七夕の日。奴はなにを思ったか珍しく夏のスーツ着てネクタイ締めて代々木上原で代々木線に乗り換えて表参道で降りた。その日のために宮前由恵さんが店主でいたクリーニング屋さんで高級ワイシャツなのに、ウインドー焼けがあることで格安で、AAC朝美放送の澪沢アナという店員さんから買ったシャツを着込んでいた。つまり奴≠ネりに正装したってわけね。靴はセミオーダーの高級革靴で、年に数回も履かないものを履いていた。奴≠ヘ七夕なので、おしゃれしたつもりだったのね。でも、パーツはいいだけど、歯なしで激痩せ頬こけで高級ワイシャツに着負けしている、そしてガニ股で、奥目でギョロ目ときたら、女は引くぜ! と、思っちゃったんだけどさ、わたしの情報網で奴はきっと案内係に来るってことで駅員さんのコスプレして待ってたのね。空振りを恐れちゃ、んなことやっちゃえないんだけどさ、やると決めていた。すると奴は十一時に現れた。なんでも奴は地中海通りへ行きたいってことだった。それでさ、わたし、パソコン画面でGOOGLE地図画面だして一緒にどこだろう、って調べたのね。画面と地図を見ながらだから顔がくっつきそうになるのね。奴はもちろん痴漢やハニトラ恐れているから、そりゃ警戒するわね。でも、もう、頬触りたくなるように接近しちゃったのね。もう、わたしの歌の『Keep Train』のコスプレPVそのままよ。可愛いメイクしてもらって、ごきげんでさ、奴≠ヘ照れくさそうに本当はスケベなクセに我慢して熱心にここだろうか、とか聞いてきたのね。奴はそこからフランス大使館や栗栖川宮公園や富士見坂など散策したようなんだけどさ、昼飯も奴にしては高い千円ぐらいの中華風日本料理っていうか、和風中華っていうかの定食食べて、その一品の焼きなすの味噌あえが特においしそうに食べてたってことだった。ちょっと意味深でしょう。途中下車しちゃったけど、こんどこそ「出発進行!」

《(中略)『三田綱坂、イタリア大使館(トンヴィル)』という題名の短編小説集です。表題の三田綱坂、イタリア大使館≠ェ一番気になった作品だったので、久しぶりに借りて読むことににしました。
 なぜかと申しますと、わたしは一月ほどまえに博士高瀬の『赤い盾』を読みとても気になった地名で、是非自分の足で確かめたい東京があったのです。
東京・麻布の高台にあるという各国大使館群があるところです。急坂を下ると地中海通り≠ニいう大通りがあり、六本木や原宿に並ぶ若者が集うところで、しかも、地中海通りから高台を見ると、とくに「その一画で立派なフランス大使館が遠望される」とありとても気になっていたのです。で、三田八筋氏の書く世界は一九八九年一月二〇日初版発行とありますから、バブル終わるころのスッチー(キャビンアテンダント)や女子大生やキャリア・ウーマンや中流家庭の女性男女の交際生態をそれぞれ巧みな文体で構成された小品ですが、現在は通用していないこともあるかもしれませんが、しかし、案外婚活≠ネどという言葉が流れるご時世、まだまだ本質は変わっていないのではないかと思ったりして、三田綱坂、イタリア大使館≠読んでいたのですが、イタリア男がいかに女を口説くのに積極的だったかのエピソードと言葉の魔術と陽気さと二股など気にしないあつかましさと大胆さに感心し、わたしがもし若く、世間でいうところのイケメン≠ナはないけれどもツケメン<Oループ程度の容姿と音楽的才能があれば、もしかして、高きことブルジュ・ドバイ・ハリファの尖塔の文さまをして、無酸素ボンベ単独登頂のチョモランマ征服のメスラーのように挑むことができたのに、余りに…なので…できない、というわけで、もし鳥なら飛べたのに。ということになるのですが、わたしの昔話の友、YHはフィンランドのツルクに行き、片ことの英語ぐらいは勉強していたようだったのに、フィンランド語などできないのに、なぜモテたのかが本当に不思議だったのです。彼とわたしは高校時代の同級生で特別親しかったわけではないのですが、日本海で海釣りに誘ってくれたり、卒業後も年に一度ぐらい交流があった程度ですが、フィンランドのツルクに行ってからも一年ぐらいエアーメールのやり取りをしていました。その後不通になり、しかもその手紙も紛失しており、ほとんど忘れているのですが、ただ、北欧的なツルクでは週末になると大阪では心斎橋やミナミのような一角があり、そこへ出かけると彼女を求める権利というか存在が許されたそうで、YHは最初はおずおずと名刺を差し出していたそうですが、身振り、手振りも交えて「ジャパン」を強調するとなぜかモテたそうです。ひと月もすると数人のガールフレンドができたというのですから、しかもフリーセックス、ちょっと強烈な字句がいつも毎回散りばめられていたのですが、同時に彼は強烈に日本からの輸入品をどうさばいたらフィンランドのツルクで受け入れられるかを模索していたようです。ま、覚書ですので気にしないでください。
『三田綱坂、イタリア大使館』はイタリア男がまさに、先日UEFACLにゲスト出演したジロー・ラモさんのように言葉巧みに図々しくイタリア語通訳の彼氏がいるということを知っているのに、
「せっかく、あなたに知り合うことが出来たのに、なのに、ただ、あなたに恋人がいるというだけの理由で、会うことができないなんて、どうです僕にもチャンス下さい。三回だけ。三回デートしても、それでも、あなたが気にいって下さらないならば、その時は諦めます」
 理恵子は英語の通訳なので、多分、英語の会話かな、この手口で彼女を落とし、落ちはイタリア大使館でのパーティシーンです。友人にその会場で合います。そう、彼氏はジノチェッティという本国でバツ一の四○過ぎのイタリア男でした。その友人は
「こちら、理恵子の彼?」
と尋ねるシーンがあり、理恵子はジノチェッティだと考えてもみなかったのだが、泰広という彼氏のことを、
「そうよ。もう随分長い付き合いなの」といい、彼女は自分が通訳として面識があったジノチェッティとのことは何も知らなかったのでした。HTさんにこの手に習ってアプローチしたらHさんに内緒でやってみたい気もしますね。彼女はCLの取材でスペインまで行ける立場の女子アナですからね。(中略)

 ところで、本日のメモは一九六〇年代つまりフランス大使館ミソップです。
ベトナム戦争がトンキン湾事件によりフランスからアメリカの本格介入にかかわった時期、フランソワ・ミソップは、
「沖縄や、横田、横須賀、佐世保などの基地を中心に、米軍の戦闘機や軍艦がベトナム人の大量殺人に出発した」(赤い盾V一〇六四頁)
 ベトナム特需で日本は潤い、大阪は万博景気に沸いた。

いま、イラクからアフガンへのシフトで米国の海兵隊シフトはすでに冷戦以後変更されているようですが、メディアがどのような立場から報道するのかが、いまも最も問われているのは論を待たないのではないでしょうか。(中略)

わたしの物語のからくりは、いまのところ誰も気づかれていないようです。良かった。(笑い)。(以下略k》

 
なにこれって、やんわりベトナム戦争のことに触れ、イラク・アフガン報道のあり方についてやんわりと、めざまし時計に釘を刺している感じわ。しかも高峯アナはいつも、奴がテレビをつけると「高峯易断!」とかのたまわってさ、大垣さんの横で高峯アナがどんな表情をするかをチェックしていたんだって。ちょっと、奴=Aなにやってんだよ。で、あるとき高峯アナが機嫌が悪そうだったので、お台場テレビでは局内番組対立もあり、スポット派とたけじんの平成教養委員会派の派閥もあり、奴はばら撒き阻止された謎の帽子軍団が実はたけじん教養委員会出演者の共同戦線だってって気づいたのは、後になってからだ。だから、高峯アナはそのクイズ番組でもいい味だして仕切るうまさが絶妙だったので、定点観測していたらしいだけ、高峯アナにも奮発して、ウジお台場テレビの前のホテルの花屋さんからばら撒きしたらしのね。で、一度は受け取れません、と花屋さんから電話が入ったらしいのね、そうしたら奴≠ヘほかに使い回しすればいいってことで、また、お台場に数日後行きますからって返事したの。それを聞いたウジお台場テレビはなぜか、今度は一転して受け取りますって、また電話かかってきたんだって。その後は寿退社、フリーになるまで、まずまずの友好関係気づいたんだけど、たけじんの教養委員会の改編があり、もう奴≠ェその番組の興味なくしたら、いつの間にか番組も消えていたんだって。なんでも奴≠ヘ番組の出演者の絶妙な間合いやキャラと高峯アナと司会者との絶妙な笑いの壺を楽しんでいたのね。だから、渡辺真間さんや平平綾子さんのボケ具合や、よしぶたの田原本のような優秀キャラが何回も海外旅行の権利を取りながら、ずっこけさすとか、ゲスト回答者や東大出美人タレントもなかなかトップになれないシステムとか、偏差値教育の実態さらす意味でも批評精神もありいい番組だったんだけどな。奴≠トきには、改編で以前の良さが消え興味なくしたっていうのが噂の真相ってとこね。わたし、すてたもんじゃないでしょう。こんな奴の深層心理まで読み取っちゃっているんだからね。えくぼをすこしへこませ「エヘヘッ」と小さく微笑み、お台場海浜公園のハゼが砂から飛び出しそうないたずら顔になっていた。そのころスボットの本当真床アナを奴≠ェ本気で落そうとしたために、六本木テレビのエミ竹下の女子アナたちが、エースのベガさん呼んできて、ウジお台場テレビの前の高級ホテルの花屋さんで丁々発止の駆け引き行なわれたこともあったんだけど、奴≠ェそこのエピソードは本編で書くと思うのでわたしが、知ったかぶりして話すとややこしくなるだけなので、きょうはこのぐらいにしといたるわ。


  三


 ウジお台場テレビ高峯文アナへの投書というかお手紙はまだまだつづく。本当真床アナについては二、三本ブログの公開恋文仕様で発表しているから、少なくともウジお台場テレビ関係者は周知の事実でしょう。でも、高峯文については、みんなしらないだろう。つづき、今度はどの曲で進めようかな。そうだ陽気にやっぱり「Keep Train」で行こう。おとうさんもおじいちゃんもサラリーマンもお魚屋さんも八百屋さんも技術者も政治家も警官も自衛隊も機動隊もキャバ嬢もキャビンアテンダントもドクターも看護師も介護士もアスリートも学生もふたたび「みんな遅れずに、ついて来いよ! 出発進行!」羽琉多筆記の陽気で可愛いえくぼ全開でまた、読み始めた。ののたびにお台場海浜公園のハゼは砂にもぐっていたのに、驚いて飛び出さんとするのを羽琉多筆記は知らない。

《拝啓 高峯 文 様

 ご迷惑をかえりみずわたしはあなたのファン・ペルシー(オランダ)レターを書いており、それの控えを取るためにコンビニエンスストアに行っていたのですから……。
本日は昨夜の寝入り際に一度騒音で起こされたので目覚めがうまく行きませんでした。しかし、七時の筆記の目覚ましコールで=tで起きリモコンの利かないTVの側面のスイッチを手探りで触れながらも、なんとかあなたのおしゃれな服装やお顔を見たので、七時半には再度の筆記コール≠ナ、再びTVをつけました。

ココ≠ニいう番組の全体を見ていないので番組編集について何のと感想をいうのは不謹慎かも存じませんが、鳩歩保(はと ぽっぽ)首相の民意を無視した政府批判には大いに批判すべきではありますが、その文脈以後に、フィリピンのスービック地区のレポートがくっついて編集される場合の前提として、フィリピンの基地撤退運動と沖縄普天間との違いについて先ず述べないと、あのレポートのアンケート結果の意味がまったく視聴者には理解できなくなるのではないでしょうか? 無粋に高峯文さんに言ってるんじゃないですよ。ディレクターやプロデューサーの視点、立場がどこにあるかということが問われているのです。最も時計のように眺める朝の主婦や出勤前の大部分のサラリーマンに吟味して番組を見る余裕などありません。それこそが実は映像報道力です。わたしが大阪のKKCテレビで一分ほど流れた自由について≠フ意見を意外な人たちが見ていたということがあり、すでに七年務めた会社を退社していたのに、多くの人から電話がかかったり、行きつけのスナックのマスターが見ていたり、というテレビの力*wヘを四○年前に経験していたのです。

 わたしがアンケートのところでTVスイッチを切ったのは早トチリであることを願っております。ネットやっていたときにも、ある程度の情報は読んでおりましたが、最近、最近わたしにの手元に届いたアジア記者クラブ会報≠ノは石垣絵板氏のレポートが掲載されておりました。ま、あれだけの取材されておられるディレクターです。百も承知二百も合点とは存じますが、フィリピンの場合はビナスボ火山爆発でクラーク空軍基地を米国が放棄した天災がきっかけでした。しかし、本日報道にあったスービック基地には固執していた。アキノ、フィリピン大統領の時代、一九九一年八月、十年間の使用期限つきで存続する条約に署名した。しかし条約は上院で否決され撤退が決まった。石垣絵板氏は共栄通信記者として、
「フィリピンと沖縄とは大きく違う。最大の差は、米軍基地撤退を求める声が、過剰な基地を押し付けられた現在の沖縄のように基地を抱える地元から強く上がったのではなく、中央の政治家、運動体、リベラル市民らがアキノ政変後に急速に盛り上がったナショナリズムの中で、基地なき真の独立≠願った」と言うことまで報道していないと、米軍基地前のネオン街の衰退や性産業の兵どもの夢の後が再整備まだ追いついていないのは当然でもあるのです。
 もうひとつ視点∞立場≠ナいわせていただければと思うのは、軍隊は戦争≠必要とすることです。最近、わたしは相模原大凧まつり近辺を体調の良い日に散歩しました。座間キャンプの広大な敷地のすそ野の野原?に富士山アスレチックの子どもの公園や、基地に隣接するわずかな隙間に児童公園があり、座間神社があり、わすかの空間に残されたイヌシデ、白カシ、クヌギ、コナラ、黒松、ヒノキ、クスノキがあり、座間神社のご神木はシイの木でした。
この小さな空間を大切に守る人たちがいる一方で、厚木基地からのジェット機の轟音は、現在、わたしの住む相模原のアパートでも、会話ができないほどのときがあるのですから、沖縄の普天間や嘉手納騒音、事故の危険性はいかばかりかと思う一方で、特に海兵隊はまさに戦場の先端にいるのです、いま、イラク、アフガン、イランとの緊張、朝鮮半島との緊張が報道されています。軍隊≠ヘまさに組織的に規律を守り、住民(非戦闘員)≠燻Eす仕事という事実です。しかも相手はアメリカ視点に立つならゲリラ化し国≠ニいう単位で計れない兵器産業が存在しているのです。このお便りは本来こんなことを書くつもりではありませんでした。

わたしの物語のブログに書いていない、フィンランド・ツルクエピソードを書くつもりでした。
 わたしは高校三年のときに仮装行列でラ・マンチャの男 ドン・キホーテ≠演じ槍が必要となり陸上競技で投擲競技をやっていたYHクンに貸してもらいました。彼は陸上競技部のただひとりの投擲の選手で円盤や槍投げや砲丸を手にしていました。同じクラスや原動機部や図書部にもそのころはは友人がいたのですが、彼とわたしはお互いの口数が少ないのに、お互いとても信頼していました。彼は陸上の投擲選手としては体格はがっちりしていましたが小柄で、地方大会でも良い成績を出すことなどなかったようです。わたしの通っていた工業高校にはMという体育の先生がいて、陸上競技の大会ではいつも役員を務める先生だったのですが、彼の競技記録は語るほどのモノはなかったようです。
丁度初夏を迎えた頃、いまから四十三年前でした。Mおばさんことマコちゃんと音信が無くなり、二年目に夜間のデザイナー学院に通いなんとかめざす企画部員になりたいと苦闘していたころ、YHとIという浪速こんぶの息子でおそろしく漫画の旨い、なんで工業高校に来ているんだろう、という友人を連れて、突然わたしの自宅を訪ねて来ました。
当時、わたしは仕事の多忙と寝不足の過労で、目が目ヤニで閉ざされ、父の死意外で初めて休んでいたのです。失明の恐怖に怯え母の付き添いで大阪の上町台地にあった国立病院にも足を運んだほどです。このとき、わたしは目を酷使するグラフィックデザインは才能も大してないし、違う道を会社の中でみつけなければならないのではないか、と薄々感じていたのです。眼症の悪さは生まれつきで、ビタミンA不足で小学校低学年のころから近所の二つの目医者とはお友達でした。肝油を飲み、生肝を無理やり食べ、鳥目が治るに随分時間を要しました。
YHクンはいまでは機械化が進んでいますが、当時は肉体労働そのものであった道路工事の線引きなどの孫請けの仕事を友人のIと一緒にやり、その貯金を元に、YHクンが「フィンランドのツルク行って一旗上げたい」と相談に来たのです。
わたしは濃いサングラスで目の不自由を覆い近所の喫茶店で彼の話を聞かされました。彼はまだわたしが営業職の仕事しかしていないのを知らないのか、随分、わたしをうやまってくれました。高校生のとき彼と二人だけで鳥取の白兎海岸でキャンプして、キスの釣りの楽しさを教えてくれたのも彼でした。彼が一旗上げたい事情について、わたしは特に問うことはありませんでした。彼の友情がわたしのこころを動かし、地図の上でも想像したこともないフィンランドのツルクに行く。ひと旗上げたい≠ニいう熱意がどこからきているのかを彼は言わなかったので、わたしは用件だけ尋ねたのでした。
「オイ! ハジメ! お前に作ってほしいもんがあるんや。頼む。やってくれるか?」
「何やねん。オレいま、目がこんな状態で良く見えないんやけどな」
「いや、キミに作ってほしいんや」
「だから何をやねん」
「ビジターカード? や!」
「えッ! 名刺のことか」
「そうや。おまえにデザインしてほしいんや」
 意外なことでした。卒業後彼と会ったこともありません。しかも名刺などフィンランドのツルク行くぐらいの資金貯めたのだから、どこでも作ってくれるハズだ。しかも、デザインだって金出しさえすればどこでもやってくれるハズだった。彼のいうことが最初は理解できませんでした。
しかしYHクンは友人のIと共に断固たる感じで。
「お前に作ってほしいんや! お前はオレらより大人やろ」とまたしても意外なことを言う。習い始めた社交ダンスのパートナーには子どもっぽい、っていわれているオレが大人、って。わたしは彼がなぜ、いま目の病んでいるわたしを訪ねてくれたのかわかりません。
「わかった作ったる。いつまでに必要なんや」
「一週間後や」
「何でもっと早く手配しなかったんや」
「お前に頼もうかどうか迷ったんや」
 彼は大阪の生野区と平野区の境にある杭全神社(くまた)近くに町工場を営む家の息子だった。
実はオリジナルデザインの名刺を作る場合、一週間という日程は、わたしが次の日に出者して手配してもギリギリの日程でした。
わたしは彼の熱意に負けて、その友情に心動かされました。翌日、無理して会社に出勤し、仕事の午前中の営業職が終わると、デザインを考え、版下起こしを手配しました。いまならフォトショップを少しいじれれば直ぐ、できますが、当時はパソコンなどはなく版下、組版、印刷。断裁と既成品でない名刺は手間がかかりました。紙質は当時は珍しいミラーコートで鏡のように表面がなめらかな厚手の紙を手配しました。
デザインはフィンランド人にひと目で日本から来たことをわかってもらうために、大きな日の丸を配しました。日本語よりも太いボールドゴシックで彼の名前を英語で配置しました。二色刷りです。版下起こし、凸版の準備。ミラーコート紙手配に裁断、そして勤務する印刷会社のコネによる提携先名刺印刷会社への段取り、わたしは祈るような気持ちで協力してもらいました。
六日後彼は勤務する事務所に電話を掛けてきて、受け渡し場所を決めることになりました。名刺は三百枚、三ケースだったと思います。
 YHクンは手渡すとごっつい日焼けした猪首をめり込ますように顔をくしゃくしゃにして「ありがとう」と手を差し出してきました。特に日の丸の配置が気に入ったようで、
「おまえ、いいデザインしてくらたな! これでフィンランドのツルク行っても何とか商売できる自信出てきたわ。これ光ってキレイな紙やなぁ!」
「ミラーコートいうんや!」
「そうか、ミラーコートか? オレフィンランド行くけど、これからも付き合ってくれるか?」
「当たり前やろ! オレのようにまだ見習いの人間をわざわざ頼ってきてくれたんや。オレの方こそどんなけ励みになるか知れやしないやろ! こっちこそ頼むわ」
 その後、YHクンはフィンランドのツルクで、この名刺を出すと、日本では想像できないほどの美人にモテたことを真っ先にエアーメール便に小さな字でぎっしり書いてよこしました。
そう、フィンランドのツルクは北欧三国の伝統的なフリーセックスの国でもあったのです。男らしい風貌ではあったが、ずんぐりむっくりの色黒で猪首、大きな顔、細い目、しかし彼の想像した世界は、わたしが創った名刺でみごとに花開いたのです。

四十三年後、わたしは築地市場豊洲移転反対デモの会場である女性アナウンサーの粋≠ネあで姿に見とれていたのですが受付で、
「お名刺あればどうぞ!」
と言われたのですが、天下の風来坊のわたしには名刺は既になく、あのあで姿のあなたの言葉に勇気づけられ、その後、おしゃれな名刺を作ったのですが、まったくモテません。
 ここはフィンランドのツルクじゃなかった。日本の相模の国だったと、思い知ったのでした。(以下略)》

ながながと読んじゃったんだけどさ、ここはフィンランドじゃなかったって、まったくスケベオジンめ、何考えてんだかね。しかも自分がキャバ嬢に惚れたときの息子さんに贈った絵本のコピーまでウジお台場テレビの高峯アナにも贈っていたなんて。わたしにそんなの届いたのはずつと後なのよ。奴≠ヘときどき順序を間違えるから困っちゃうのよね。でもさ、わたしが三○歳になったときには、その前年からも日比谷花壇攻勢っていうのか、つぎつぎと贈り物してきたけど、わたしが顔出しするとなぜか、すれ違う。でも少しだけその秘密『自由日記小説』の中身少し見せちゃおうかな。だってベガさんや味雷さんや極道の妻(おんな)さんにまで出し抜かれたら悔しいじゃない。なぜか奴≠ヘその期間は安邑ちゃんにもかなり厳しい仕打ちしていたんだぜ!! 
とうのはひとつだけばらしちゃうとね、秋田に大曲って駅あるんだけど奴はわらべ座や角館でひと騒動もふた騒動も起こして起こすつもりはないのにさ、大曲のビジネスホテルで休憩しようとフロント行ったら、柔道の松元栞さんっていうロンドンの金メダリストがいて、彼女もやんわりとベガさんの牽制球投げてきたのね。しかし奴は嫌味な感じがないので、彼女に本当は持ち帰る予定の角館土産の「もろこし」を差し上げたりしていたのね。休憩料五千円払うつもりだったけど、ネットはダメっていわれたので仕方なしに夜九時のバスまでロビーで待つしかなくなったの。大曲の駅前って本当に何もないところで、食事も代木屋などの飲み屋数件しかないの。それで、騒々しいロビーの団体客の傍若無人ぶりや散らかし具合にあきれながらも五時になって営業を始めた代木屋の四人掛けの奥の席についたのね。そこでなんと居酒屋の店員さんが実は安邑ちゃんだった。しかし、奴≠ヘその日は安邑ちゃんの出番ではないと決めていたからさ、注文して注文品が揃うと、いまから書き物もあるので、ごめんなさい、って安邑、ちゃん追い返しちゃったのよ。信じられる。そして奴≠ヘ何していたんだと思う。わたし思い出すと少しうれしくなっちゃったんだけどさ、わたしのGOODSの筆記ノートに書き物を始めちゃっていたのね。だからさ、わたし八月九日の「落語亭の夏休み」に奴が来るって情報仕入れたときはさ、睫毛長師さんの「パン把」っていうカレー屋さんに奴≠ェいるっていうので、喜んでマネージャーさんと行ったのよ。ところがってことになっちゃうんだけどさ、ま、「筆記ノーT」から一部披露しちゃおうかな。「みんな耳の穴ほっぽじって聞いてね。出発進行!」と羽琉多筆記はお台場テレビの海浜公園のダボハゼにも合図かけるように、元気にTravelingふたたび、って感じでマーチバンドのコスプレ可愛くピチピチ太腿魅せつけてブーツはシルバーに光が当たると虹色に輝く派手さでマーチングのタクトを上から下に下した。

《午前五時三七分
 おはようございます。筆記ちゃんお元気でお過ごしでしょうか? その節は眼底検査検査のための瞳孔開く目薬さす折りには箪笥にゴン¥態になり嬉し恥ずかし昭和生まれの団塊世代ってことになり、キミの瞳もいつも二七光年先のベガに負けない輝きまぶしかったぜ! ちょっと異常接近の胸のふくらみ刺激きつかったぜ!
「あい、あい!」と書いたところで少しまじめな話にうつりましょう。あちきの(クセになった)この筆記GOODSを買ったのはナゴヤレインボー会館(現ガイシホール)でした。あれから早いもので六年目を迎えております。筆記ちゃんは何歳になられたのでしょうか? 初版『エミリー ザ ストレンジ』のころあなたの顔はお母様そっくりになっており驚きました。わたしはいつも筆記ちゃんの写真とにらめっこしながら寝起きしております。「おはよう!」とキミが励ましてくれるようでうれしいからです。第二次『エミリー ザストレンジ』送付及び『シルバーブック』送付はお花に忍ばせた『DAISUKEより大好き 羽琉多筆記・愛仕様』USBを送付してから早や約二年の歳月が過ぎました。ベガさんからあなたにふたたび引き継いだ自分史は、その後少し進展しましたが、フミヒサ大天堂で中断しました。ここをどうつぎの場面に持って行くかのアイディアがどうしてもうまくまとまらなかったのです。さて、わたしはフミヒサ大天堂の仕事をいまなら、自分が契約しているプロダクションとの条件を破棄して新たな環境を求めても許される、っていう感触がご当主にありましたので、以前勤めていたデザインスタジオにその仕事を持込ました。 同時にそろそろわたしの頭脳の回転不足に陥り、ご当主に飽きられるのではないか、と感じておりました。(中略)。社長に代理のディレクターを見つけていただき、わたしは何をしようとしていたのかを当時のメモをひもといて記します。》

ま、このノートの前文で奴≠ェわたしの点す眼底検査の瞳孔あける目薬でやっつけていたってとこは理解してもらえるわね、箪笥にゴン≠チていう表現は、奴に目薬点すときに頭を後ろにそらせちゃつたんだけどさ、後が壁で、奴はゴン! って思い切り後頭部を打ったのね。だって、わたしさ、マスクしていたけど奴とはここで何回も顔合わせているしさ、元汐留テレビの女性アナの看護師さんなんて、目を血走らせてせまるもんだからさ、奴はすっかりびびってんだよね。下手に体に触れたらセクハラの歯なしオジンの糖尿病のバセードーは治りかけているが頬のこけたがに股のスケベオジンとかいわれるのを気にしていたのね。さわり以後の話し読むと奴≠フ青年期に何に興味を持ち現在につながっているかってことがわかっちゃうんだけどさ、ちょっとめんどうくさいけど、ここは読み流ししてもいいんだけどさ、奴の必死さみたいなものが詰まっているので、少しめんどうかなって思っちゃうけど、読みます。安邑ちゃんのいう宮前由恵さんにつながるミッシングリンクが埋まるは話でもありんす。あっ、わたし、奴のブログ読んだからか、奴≠フ口癖移っちゃったのかしら――。

《(全略)自分史を語るファクターに欠かせないのですがその前ふりとして、戦後植林されたスギ。ヒノキの間伐材の問題が後継者不足でもあり深刻な時期を迎えようとしておりました。時代は昭和五十七年(一九八二)ですから同封の『月刊あるふぁ21』には参画していない時期です。
 小径木つまり間伐材有効利用を扱うのNK社と言う会社のハウジングフェアなどの「見本市出展運営プラン」などを提案しておりました。
当時のプランメモを記します。

〈出展目的〉「木を愛し、木材おw通じて貢献したい」というNK社の経営理念、企業の信頼性を訴えると共に、小径木の有効利用のために努力してきた成果を展示発表市関係者(主対象となる官公庁の担当者、設計事務所・造園業者・大工・工務店等)の需要を促進する。

〈テーマ〉(仮題)木のにくもりを日々の暮らしに。(ウッドライフの提唱)

 〈展示企画の概要〉展示の基本プランにいつきましては今回は物理的にはむづかしいので、参考資料としていたただいた小径木住宅(ミニハウス)展示するという前提のもとに、別記のようなプランを加えたらどうかと考えています。(展示演出の項をご参照ください)

 〈展示演出〉一、企業が設計施工演出する展示企画はイベントのひとつの形態であり、最終効果企業イメージや商品イメージに収斂されなければならないこおてゃ当然ですが、企業も商品も人間ではないので、誰が(WHO)何を行っているのかをマーケティング目標に合致した方法で構想することが望ましい。
二、@ひとことで内容がわかる単純性
  Aどこか現代からはみ出した意外性
Bしっかりした中味
C絵になる要素
D多くのひとの関心ごと(話題性。今日性)※この5項目が重要なチェックkポイントになる。

三、上記の5項目をチェックポイントに今回のミニハウスの展示についてみると、Aの意外性、Bの絵になる要素になることが認められるが、トータルハウジングフェアになぜ、山小屋のようなミニハウスが建っているのか、@の単純性たDの話題性、今日性のを考慮すると少し疑問である。しかし屋外展示という点を鑑みこのミニハウスを小径木利用のモデルミニハウスにするとともに、インテリア利用の施工展示の小さな空間だという設定にすれば、話題性も今日性も少しはでてくる。
四、展示主体は小径木を利用した、花壇、ガーデンテーブル、イス、造園、および街灯、ベンチ、踏み台、パーゴラになるが、屋外であるだけに展示コーナ(Bのしっかりした中味)をどのように目立たせるかに、業界からの視点だけではない複合領域からの展示演出が必要になる。文字、音楽、ファッション、旅、風俗などを考慮する。
五、前術のC項の絵になる要素を考慮して、Aの意外性、@の今日性・話題性を加味した展示演出として、吉里吉里国(岩手県大槌町)の協賛の設置を提案したい。
 注・後年三・一一の東日本大震災でこの大槌町も地震・津波で大きな被害を被ったのはご存知のことと存じます。
六、吉里吉里国は『吉里吉里人』井上ひさし著がベストセラー(讀賣文学賞・SF大賞)になったことにより、観光ブームまで起こしているので話題性には事欠かない。》

 なんだか小理屈考えて企画書の原案つくりのメモをしていた様子だけど、『吉里吉里人』に目をつけるのはいい思いつきじゃなかった。だって、普通だと大阪の企業だからすぐに地元とか吉野杉とか北山杉とかに結びつけたくなるじゃない。それをあえて、東北の岩手の過疎地の大槌町を持って来るなど、思いつきとしておもしろい感じじゃない。しかも、吉里吉里人の来訪とかになるんでしょう。奴の考えることぐらいだいたいわかるんだからさ、だてにいままで、シルバーブックやその他のことを読んでいないからね。だららだ長くなるから、わたしが要約しちゃうとね、

《吉里吉里国つまり大槌町観光化との連携企画として、同観光課のシンボル樹としての「キリ」の木をトーテムポールとして展示してそこに参加者のサイン&メッセージコーナーを創るってことね。つまり、話題性と親しみ、遊び感覚を感じさそうという魂胆ですね。奴がこの企画考えたときはまだ、ご当地ゆるキャラブームはなかったからそこまでは頭が回らなかった見たいね。サイン&メッセージコーナーは小径木の実演コーナーとの連携って考えていた。、あと、なんと大槌町観光化には企画趣旨を送付し、キリのシンボル樹の無料寄贈の内諾を得ていたらしい。その代わり、吉里吉里国のミニ国旗その他のGOODS販売を企画しその利益を大槌町の観光化に寄付するってことだったようね。マルボという商品に「あなたの名前書きます」という加工実演販売など。》


その後に各地の山村森林組合の資料などを調べていた見たいだけどさ、奴≠ヘなぜ、基礎知識もないのにこんな間伐材に興味持ったのかってかんがえるとね、多分、やはり吉野での体験が強烈だったから、新建材ブームで木材のサンプルの見本作りのために就職した会社で夜中まで走り回ったってことが、大きいとは推測できちゃうんだけど、誰からも言われないのに、こんな仕事をモノにしようと企んだのは、傍から見ると阿呆というか馬鹿というか、おっちょこちょいというか、かわりモンっていうか、お人好しっていうか、奴≠ェこんな直ぐに金にならないことに首を突っ込むもんだからさ、彼の代役のベテランフリーライターもご当主とゴルフ行くとかまでは良かったんだけど、だんだんとご当主について行けなくなった。しかも、彼を助けるために元数学の先生が加わり立て直しを図ったが、第二本印刷のクリエイティブ部門も仕事の受注が増えないと関係がまずくなる。奴がたまに顔をだしても、ご当主は奴≠ェ自分とのの距離を測りだしたことで不満だった。やがて、爆発する。そうなるとデザイン事務所にもメリットは消滅する。折角、奴が苦労して築いたフミヒサ大天堂との関係は一年もすればガタガタになった、そうなると、奴も新規開拓の仕事に従事していたとはいえ、企画を考え持ち込む余裕もなくなる。あっ、という間にデザイン事務所のと関係も悪化、解消せざるを得なくなっちゃった。奴≠ヘこの頃に必要に迫られゴルフをやりだしたんだけど、その辺りのことはベガさんのプロポーズつき小説に詳しいわね。わたしは後にになって睫毛長師さんにそのいきさつ聞いたときは驚天動地、あったまにきちゃったからさ、その後は思いっきり引きつけてスルーパスだしちゃったんだよね。だって、下北沢の「ごらく亭の夏休み」の八月はまだそんなこと知らなかった。だから、睫毛長師さんプロデュースのカレーのお店までマネージャーさんと顔出ししたのに奴はまったく気づかなかった見たいね。「ごらく亭」主催者のコント青曼荼羅の児丹智(こたん さとし)さんも夕方の部の出番の前に顔出ししたけど、全然気づかなかったみたい。だって、奴≠ヘ歯なしなのに「ほうれんそうとコテージチーズのみどりのカレー」とかなんとかいうチキン入りカレーと悪戦苦闘していた。だからお店の方が夜の部の落語で演劇ユニットの座長で落研出身の松元一子さんが、当日カレーの調理していたなどなおさら夢想だにしていないよ。それに、奴≠ェ烏龍茶のペットボトル忘れたことに、お互い過剰反応しちゃったりさ、奴≠ヘ奴≠ナお店のBGMの「♪ジャズ、ジャズ。ジャズはアメリカニューヨーク!」ってフレーズだけインプットされ、夜の部の行ったときに、睫毛長師さんに、何かメモを「ファンです」とかいって渡していたんだ。そうしたら、松元一子さんが三軒長屋で極妻バージョンやるなど夢思ってなかったのは当然よね。彼女は本来、三軒長屋のオリジナルのお噺の「叱られたい下」とかプログラムに掲げていたんだけど、出番までに「極妻」バージョンにしなければならないっていうんで、右往左往したっていうのは楽屋噺としては、あったのよね。わたしは思いっきり緑のワンピース着てツケほくろしてさ、マリリン・モンローか筆記かって感じでウイックかぶって奴の横で一緒に「天狗裁き」の座敷落語芝居の面白さにゲラゲラ笑っちゃっていたんだけど、内心は「筆記ってきづけよ!」と思っちゃったのも事実ね。でも、奴≠ヘそういうとき鈍いからね。わたしも何も喋らないから仕方ないんだけどさ。ちょっと切ない気持ちになっちゃった。


   四


 とにかく奴≠ヘ今度はわたしの分野の音楽のことを突然書いたりしているんんだ。しかも、それは奴が創刊準備した『月刊あるふぁ21』のダミーにに貼ってある記事が元になっているという奇怪な入れ子構造ともいえる内容なんだけど、実は奴は『月刊みんぱく』の熱心な読者であった時期があり、国立民族学博物館にもよく通った時期があったらしい。そのとき影響されたのがっていうか、既に『情報の整理術』などで影響されていた国立民族学博物館館長の梅崎忠司さんに影響されていたってことで、それは当時はバリバリの毎朝新聞の記者の奇者論理っていう方の本や記事にたくさんかぶれていたからさ、京大人脈っていうのかで、梅崎忠司氏についてもかぶれていた。奴は鈴本演芸とかいうドイツ文学者にも影響されたりしているから、べ平連の織田政治にもかぶれたり、なんでもかぶれ過ぎたら皮膚薬が必要になるから、アトピーになるからダメじゃんと思っちゃったりしているんだけど、音楽文化論っていうのが、『筆記NOTET』に書いてあったのでその部分読んでみたいんだけどさ、
「みんなついて来れるかな。いいっ! やっちゃうからね。じゃまくさいけど、ここやらないと、奴≠ェなぜ、アイヌの記事を貼りこんだり、社会主義の国のソビエトのことを貼りこんだり、また、文明批判というか文化人類学観点からなぜ、奴≠ェいわゆる非文明化の民族の民話的な話を挿入というかダミーに貼りこんでいたのかが説明困難になっちゃうからね」と、羽琉多筆記は襟をただし、目を銀河鉄道の星に反射させるように見据え、ライブで自作の詩をと朗読するような雰囲気でインドネシアのバリ島の音楽についての貼り紙ダミーの内容を読み始めた。

《梅 ジャワとバリでは、文化的にそうとうちがうものがありますか。
T インドネシアに最初ゆけば、しかし、バリは小さな村がいっぱいあって、それぞれの村が独自の芸能を持っていますから、総花的にとかんがえるというわけにはいかないみたいです。たとえば、インドネシアの代表的音楽であるガムランは、打楽器のオーケストラみたいなものですけれども、村ごとに楽器のと調律のしかた、楽器の編成など違っています。(中略)いまの西洋では十二平均律、つまりオクターブを完全に十二等分してつくられる音階でしょう。インドネシアの音楽はもちろんこれに合わないわけですが(中略)また村ごとに楽団ごとにちがうのです。(笑)以下略
梅 十二平均律音階のようなきまりはないわけですか。
T ソレンドロ、ペロという五音階はありますが、その音階ごとの音の幅が微妙にみなちがっているということ。
梅 一応五音階というのはできているわけですね。注T氏によれば「ソレンドロの方はドレミソラみたいな五音階、ペロのほうは七音階中から五つ選び」実質は五音階だそうです。T (前略)どれが本物かわからないっていうより全部本物。独立国になってもジャワ島だけで二五〇〇言語、島が一万四千ほどある。しかしそんな国をなんでひとつの国≠ニいう意識になりうるかというと、「けっきょくは文化、芸能とか音楽の世界しかなかったんじゃないか。独立の意識はそういうところに反映して、むしろ独立以後に芸能がさかんになったという感じがしますねそこから日本の西洋音楽の受容性について、梅崎氏は「日本では賛美歌歌う日本語にはろくなものがでてこない。西洋のものは日本のもので純粋化する。」つまり日本文化の外国文化に対する特徴と思っておられる。「大陸経由の音楽は宮廷音楽」として伝わっている。
 T氏はこれを「日本人もけっこうよそものを取り入れて、自由自在に自分なりに使う」という。しかしインドネシアは「理屈抜きでよその文化を取り入れてしまう」というわけです。そこで梅崎忠司氏は「和洋折衷的なものは事実上成立しない」とまで言っているのですが、前振り長いね相変わらず。しかしキミの楽曲はこの壁を乗り越えて行こうって感じなんだぜ!
 梅崎忠司民博館長超えだぜ! すごいぜ! キミは老子の「ものごとは成り行き任せに……。」
キミは『EXODUS』でアメリカン進出したんだけれども「アメリカで育った人が日本でやる時も、普通は慣れないほうの国の見え方はわからないって思うんですが、わたしはそこから両方が見えちゃうっていうー永遠の鏡合わせ見たいな感じ(笑)」と言ってるんだぜ!
 あちきはこの娘何者だろうと正直驚いたぜ! しかもキミは筆記ちゃんはとんでもないことを堂々と語っていた。
「実は(音楽シーンとしてのアメリカに)そんなに魅力感じなくて。だから別に日本でやるのもアメリカでやるのも、ちょっと浮く感じとしてはどの道、同じような気がする」とまで言っている。あちき(クセネ!)は驚いたよ。何なんだこの娘は。って思ったんですね。音楽のこと全然知らないけれどもね。それで、「ビヨンセでなく、ミッシー・エリオットでもないものになって行った」そうじゃないか。
 岩波新書のJポップの本に羽琉多筆記の出現は革命的だったという意味のことが書いてあったような気がするけれども、そういうことだったのかな。キミはおもしろいことを随分平気でいう娘だよね。好き嫌いがあるのに「全然ないよ」答えてみたり、「結婚生活をしていた桐谷クンが今までで一番わたしを知ろうとしたひとなんですよ。わたしを理解して、どうしたらわたしがハッピーかかとか、どうしたらわたしとうまく行くのか」とか、常に聞かれていたらしいね。これは筆記ちゃんにはキツイだろうね。オジンだけど感覚的にはわかる。わたしは筆記のことなど、なにひとつわからないからキミと相思相愛の感覚になった。と感じているもの。たとえば『ULTRA BLUE』アルバムの楽曲から説明しろっていわれたら、なんとなく説明できちゃう気がするもの。要するにほとんどわたしのためのソングライターしてくれたっていう「超きままな解釈」。もしかして当たらずとも遠からじ、だったりして。だけどわたしは筆記の追っかけしだした代々木第一でのファイナルの時ぐらいから、何故かキミと桐谷さんとがうまくいってないみたいって感じていたよ。説明はむづかしいけどそうだった。
ところがインタビュー読むと大ハズレだった。「人生で感じる怒りの量みたいなものが決まっているとしたら、全部そこ(曲)に入っているみたいな」ことをいっている。そしてキミは「日本の民族って単一(ここは疑問だけど)だから、元々ジャンルなんて存在しないわけじゃないですか。アメリカのジャンルって、元々は人種だったりどこが出身だったりによっていたりするわけで、だから日本ではヒップホップとかロックとかいうのって、ちよっとなんか不自然なんですよ」と語る。梅崎忠司氏が日本文化は集合性がない、っていっておられたけども、「バランスとしてどこか和風のところがあったりとか、ロックでもレゲエでもヒップホップとか不自然なんですよ」とまで言っている。さらに「小さいこころから聴いていたとかいわれても何か違和感がある。て、わたしはそういう違和感のないひとになりたいっていうか」でさらに「非ジャンル化」。簡単にいえば曲とメロディを突き詰めて行くみたいな『寿司を作りたい』みたいな感じといっている。
ところで、同封の『月刊あるふぁ21』のダミーに文化大革命後の中国について、Tさんが語っていたが面白いです。
「中国人にとっては、伝統というのはかならずしもふるいものをそのままもってくることではなくて、いまそれがどう生きているかみたいなところに目を向けているみたいで、日本人の持っている伝統観とそうとうへだたりがあるのではないかと思いますね。日本では家元が、これこそむかしのとおりやというけれども」で、梅崎さんがつづけます。

梅 それは日本がいちばんひどいのでして、伝統の名のもとに、一種の文化的凍結をやるんですね。冷凍庫に入れて完全保存をはかる。ところが東南アジアでも、伝統というのは常に生きているということが前提になっている。それは文化財復元にもひじょうにはっきりでてくる。むこうの人は建物など平気でいくらでも塗り替える。仏像まで汚れてくると、まっ白に塗ってしまう。

 まあ、梅崎忠司氏は「西洋音楽」はここまでいらなかった」論者でT氏が「アメリカではもう古い形のジャズはもうやっていないのに、日本にはある」》


ちょっと一息ブレイクタイムにしましょう。だって奴≠ヘわたしの音楽感っていうか、「作詞作曲する側の論理」というかにかなりいかれちゃってる感じでえらく尊敬してくれちゃってる感じじゃん。わたしさ、いろいろなことをいっちゃっているけど、よくよく読めば矛盾した発言もあるし、若さゆえの背伸びもあるし、いろいろなんだけど、ここだけは、ちがう、とか、譲れないとか、あるといえばある気がする。生意気いっちゃってるけど、だれでも少しはそういう時期ってあるじゃない。だから、自分が発言したことにある程度責任はあるけれども、あくまでも過程ってことでファンのみなさまにはご理解いただきたい。だけどエライ梅崎忠司先生とかT氏とかの音楽文化人類学に対比されて、あたしを語られるのは正直照れちゃうよね。だって、まだ、当時は二十半ばなんだもん。羽琉多筆記がそういうときは子どもっぽい顔になる。実際、タメ口が売りのようなデビュー時代は実はラジオ番組のトークなどが受けていたっていうのがもっぱらだったらしいから、あながち、そういう感じだったのだろう。まつげ太っ。丸首セーターださっ。パンツカーゴかい。天井低って、感じで踊っていたんでしょう。
って奴≠ェなにかに書いていたことあったけどさ、奴≠フような浪曲頭では何が何してなんとやら、って歌詞でないとわからないのはしゃないじゃん。でも、わたしのライブで少しは分かったところあったようね。だって次に書いてあることは、わちきいやだ、わたしまで奴の口癖に冒されるなんて、やだ。やだ。

《「日本の文化は凍結の文化」そこへ筆記ちゃんのような非ジャンル化の音楽が逆輸入のように入ってきた。そしてうまく受け入れられる。で、キミは『EXODUS』のアルバムの後に気づいた。「日本語の音楽、変に楽器がたくさんあるよりも要するに歌≠ネんだってことで、民謡とかも楽器が少なくて薄い中に歌とメロディが一本あるじゃない? それが日本の音楽、日本語の音楽が持つ特徴なんだなぁって思った」
 そこから『ぼくはくま』が生まれたのかな。なんかすごく納得したものです。『ぼくはくま』は日菱阿古(ひなびし あこさん)のお子さんに贈った感覚は悪くなかった、ということですね。なんかここ初めて読んだとき、専門的なことはわからないけれども、「ふ〜ん」と合点したものです。
T氏、梅崎対談では、あと五十年でヨーロッパ音楽はぜんぶ「日本に凍結」(T氏)といっているし。梅崎さんは雅楽はもう中国にはないので、T氏は「ドイツ音楽なんて日本へ来ないと聞かれへん」ということだったしね。ポップなんかも冷凍されて保存される。ブルーグラスの元の形も日本に来ないと、になったらしい。ウエスタンも。キミがアメリカ育った音楽環境はある意味で生まれたときから、いつも新しいものを受け入れていたといえないこともないんだけれども、実際は筆記の感覚はどうなんだろう。当時の民博は「日本民族文化の源流の比較研究」などを盛んにやっていたので、このような話題がたくさんでているのでしょうね。T氏は大阪大学の音楽学の専門家です。(以下略)》

「ちょっと聞いたって!」感じじゃない。音楽やる人間としてはさ、最高の褒め言葉に感じちゃった。奴≠ヘ音楽のことをなんも知らないくせして、ときどきこういう意外性のある事例を持ちだして来てさ、「筆記ちゃん! どうよ!」とか迫っちゃって来るのよね。そこが奴≠フ手口ってわかっているんだけどさ、つい気になっちゃうのもたしかね。奴≠ヘ安邑さんも気になっていた宮前由恵さんのこともわたしへの『筆記NOTET』に引用しちゃってるのよ。気になるでしょう、さらにさらにらさにだんぼ耳になるんじゃない。だから、ここも読んじゃうからね。でも、自然災害の前振りも読まないと奴のことはわからない。

《さて、最初に間伐材の話題に触れたのですが、昨年の3・11の事故以後、四月には那智勝浦の町や十津川や野迫川などで深層崩壊(山が表層だけではなく五十メートルぐらいの深さから地すべりする)地雪崩どころではない豪雨が襲って、人工ダム湖が出現するということが、わたしの住んでいた奈良も大変な被害だったのですが、実はあの原因が間伐材問題なのです。(中略)以下引用

 わたしはあなたが『週刊朝日』の女子大生シリーズ表紙を飾りモデルからタレントへの道を歩んでおられることを薄々感じておりました。しかし、あなたの肢体は世の男どもに刺激が強すぎた。さしずめ、恋に破れた男には余りにも鮮烈すぎた。わたしは実はルノアール描く豊満な女性が好み(注、いまはこだわらないだということを悟られないように生きて来たのに、あなたはわたしをあざ笑うように、惜しげもなく豊満な乳房をビキニで包みおもいっきりくびれた胴におへそを見せ当時では先端の下半身を覆う布切れでわたしをはじめとした男どもを挑発した。
あのストップモーションは夕日の太陽などいかばかりのいつわりの美しさだろう嘆かすほどに太陽の光をまばゆく感じさせたものです。わたしはあなたの肢体とアンバランスな童女の顔と白い歯にひそむ頬のちいさなくぼみをまぶたに焼きつけ、その後あなたがどうなるのだろうと思ったものでした。しかし、ふたたびのあなたとの出会いを果たすには多くの時間がかかりました。ルノアールの洗濯女はわたしにはミゲール・デ・セルバンテスが書いたラ・マンチャの男 ドン・キホーテとなって具現するとき≠ェ必要だったのです。》
 わたしは自由≠フ希求は高、校三年のときの体育祭の仮装、この行列でドン・キホーテを演じたことにありました。ドン・キホーテになりきり、教師どもをコテンパンに揶揄して権威をひきずり落とすことにありこの目論みはクラスの落第生などの年長の番長たちも巻き込んで大成功。あんなにいつもクラスのどこかでイザコザやケンカが絶えなかった連中がこの日だけみごとなまとまりを見せた瞬間でした。
 このことを昨今というか、この二週間つまり、井上ひさしさんが亡くなり、『手鎖心中』ならびに、手に入った伊能忠敬の『四千万歩の男』の四、五巻を読み前後して、金欠病の極にもかかわらず、今年前半個人的関心ごとであるサッカーのために『考える!』なぜ日本人はリスク冒さないのか? (イビチャ・オシム)の新刊本まで買い通読、同時にアパルトヘイトの南アフリカという国の成り立ちの理解するために『何ア共和国の内幕』最後の白人要塞(中公新書)などを古本屋で見つけ、南アフリカの鉱物資源はロスチャイルドの企業に乗っ取られ南アでW杯サッカーが行なわれることは奇跡的なことでもあり、同時に国際金融資本にとっては、これほど政治的なスポーツイベントはないのではないかと、頭のどこかで疑っているわたしがいる。(大幅略)
『吉野葛』(谷崎潤一郎)の描く世界は明治末から大正にかけての吉野地方の姿であり、わたしは十八のころからこの『吉野葛』が描く世界といささかかわりがありまして、当時から週に二、三度吉野の東吉野村や川上村に行く日常を体験しておりました。それだけにこの文庫本の再読は必然的だったのです。といいますのは、谷崎潤一郎が吉野へ行った時代は交通の便が悪く簡単に行けるような場所ではなかったのです。吉野に行った時代ではなかったのです。吉野のには葛≠ニ国栖≠ヘいまも紙漉きの伝統が残り地域の小学生は自分の手で小学校の卒業証書の用紙を自分で漉いた紙で作るのが年中行事になっておりました。また、国栖舞という伝統芸能も伝わるところです。吉野は南朝ゆかりの地であり、天武天皇(アメノヌナハラオキノマヒト・飛鳥浄御原)ゆかりの宮滝の離宮跡は発掘が進みほぼ確定しております。当時は険しい五社峠(いまはトンネル)を越え左手は東吉野、右手は川上村西河へ向かうといまはダム湖になった大滝ダムになります。地名の由来通り奇岩の数々があり大きな岸壁には吉野・奈良の持丸長者土倉庄三郎の文字が刻まれており、吉野林業の立役者が存在感を誇示していたのでした。というのは、わたしは大滝ダムの試験潅水以後の様子は見ていないので、わからなかかったのですが、その後見学に行きダム湖のブサイクさに絶望感を感じたものです。
注、民巣党政権が「コンクリートから人へ」の政策を掲げながら、当時の国交大臣の裏切りにあより西の大滝、東の八ッ場ダムは結局ダラダラと工事が進むことになりました。もはや初期の目的などどうでもいいのです。集団移転の地が不安定地盤であっても、そんなの関係がない。上流の品木ダムが汚染されたヒ素があろうととも、中和剤入れて、延々と浚渫する。そう、ダム造りは名目、利権に連なる天下り機関と政治家(不自由党・傲慢党)及び土木関係者は公共事業の予算を際限なくふくらまし続け、国からお金を引き出せばいいのです。この辺りの事情興味おありでしたら、世田谷区長の後援者になってお勉強されたらいかがでしょうか。

 引用ふたたび。
(略)わたしは天武ゆかりの離宮近辺である林業家を取材したことがあります。これをさわりだけ書いておき、宮前由恵さんへのお便り便上して覚書とさせていただく所存、失礼をお許しください。》

「奴≠フNOTEちょっとややこしい。地の文に入れ子構造にしたり、わたしへの問い返し入れたり、ちょっとうんざりしないでもないんだけど、読んで見るといわんとすることは生意気にいえばまとも≠ネ気もします。だからさ、つて来れない連中はお開きにしてもいいんだけどさ、わたしは乗りかかっちゃった船つまり当事者の筆記なので流すわけにはいかない。安邑さんのいう、淵野辺桜美林大での宮沢賢治の音楽群像朗読劇の宮前由恵はなぜ、鉛筆を掲げ、奴≠ヘなぜ、固まってしまって仇さま状態になったのかの一端を知ることになるんだから、我慢してついて来たいひとだけ、ついて来いよ! 今夜は眠れないぜ!! 行くぜ!! 銀河鉄道はサウザンクロスにもまだ着いてないぜ! 出発進行!」
 ってことで羽琉多筆記はさらに大声で眠気を吹き飛ばすようにお台場海浜公園のハゼにもわかるように声を張り上げて高らかにまた読みだした。宮前由恵さんをちょっぴり羨ましく思いながら――。

《一九九二年わたしは離宮蔵(離宮蔵)という大きな樽を目印を店の道路脇に掲げたU造林(弟さんが醤油醸造経営)という八代目当主を訪ねました。八代目のKさんは同志社大で学びさらに京都大学林業科で林業研究をして、先駆的な高集約恒続林経営を実践、あのために「杢(もく)」の林業を進めてきた父のYさんの技術を発展させる研究に取り組んでいた。林業家ならだれでも大径木の七十年生、八十年生の木を持ちたい、しかし、それでは当時の外国産材との競合には勝てない。そこで短期伐でも収益があがる外国材とも競合しない丸太表面で勝負できる木材の研究に務めた。天然しぼの研究や優良無節柱材の体制を確立したのです。つまり主に表面のしぼりのような床柱や磨き丸太にして間伐材を高級原木にする技術です。ヒノキの無節材からは、直径十・〇五センチ、長さ四メートルの無節材二つ取りする。さらに天然しぼはスギの天然絞品種を従来のスギ(吉野杉)と組合せて床柱や杢柱、あるいは突板や天井板にするいわゆる銘木生産林を一九七三年(昭和四十八)に苗木生産を始めていたのです。
 いま、平成二十二年四月その後の約二十年がU造林にとってどれほど厳しい環境であったかは想像にかたくないのです。が、同時に、その後のK氏のような組織が健在になれば、わたしは人生捨てたもんじゃないのではないか、といいたいのです。(中略)日本の林業を考えるとき、間伐材という問題は避けて通れません。とにかく雑木を廃して吉野に限らず人びとはスギ、ヒノキを植えました。しかし、いくら成長が早いとはいえ、間伐は欠かせません。しかしこの間伐という仕事は大変な重労働で誰でもできるというものではありません。吉野などは交通網が発達していないときは。筏を組んで下流の貯木場へ運んだそうです。が、いまは昔です。しかも吉野杉の持ち主は大阪の船場商人などであり、地元の職人は山持ちとは限りませんでした。谷崎潤一郎描く『女系家族』や『細雪』の昭和のはじめの時代はまさにそういう時代だったのかもしれません。(中略)
当時の間伐材の家具への転用は小径木の角材やかまぼこ材をテーブルやイスに加工する愚術なので、大変な手間をかけていました。例えばテーブルの実例ですが、わたしは実物展示品の即売を買いました。左右一五〇センチ。幅九〇センチ。長編半ばにはかまぼこ型の側面支柱が組み込まれており、それがデザイン的アクセントになっていました。テーブルのセンター下部には構造的な強度を確保する板を小径木を接着剤で幅二○センチ厚さ三センチぐらいの板を桁にしてありました。テーブル表面は小径木を平にしてそれを貼り合わせてあるので大変重いものです。つまりできるだけ小径木の自然な良さを引き立たせてなおかつ、見栄えのするテーブルにするために、表面を特殊な樹脂塗料で塗り、経年でのソリやちじみや伸びの誤差を抑える工夫がされていました。イスは二脚と長椅子形式でしたが、いずれも小径木の原型を残して組み込んでいるので大変な重厚感がありました。イスも基本は小径木を貼りあわせた板で平面を造り、脚はやはり、かまぼこ状の小径木を組合せて長いボルトで結合したものなので、一脚でも重くてびっくりしたものです。四○万円も投資したので、小径木の思いN企業へのプレゼンテーション企画はやる気満々だったのですが、その後のバルブ景気がそんな悠長なことを好まなかった。土地をうれば儲かる。スギの山はゴルフ場や住宅開発になり水源は汚染や枯れ、山は荒れた。わたしの住んでいた吉野でも半径二○キロから三○キロ以内に大規模なゴルフ場が五つはできた。さすがに吉野山麓だけは地元住民の反対でバルブが弾けたとたんに霧になり消えた。というわけです。》

ここから奴≠フ変化球がまた始まっちゃうんだけど、ま、奴≠ェ間伐材にこだわったいきさつは少しはわかるわね。補足しちゃうとねスギやヒノキばっかりになると間伐怠ると雑木がない山だから保水力が極端に落ちるのね。吉野でも迫あたりまで行くとナラやトチとかいうでっかい根のはる雑木があり、昔はがけ崩れなど起こらなかった。しかし、スギやヒノキだと保水力ないから大台山系の大雨ばかりでなく吉野北部でもしょつちゅう鉄砲水がでて、がけ崩れが起こり、台風シーズンはもちろん梅雨どきは、車坂峠でも小さな土石流が落っこちてきたりで大変だったのは、わずか二十数年前のことだったそうです。だから吉野天川への道路などは狭いから大変、崖崩れ落石注意とか標識でているらしいだけどさ、言われる前に二、三十センチの石や岩はゴロゴロ落ちている。上見て走るわけにもいかないから、奴も田舎道のバイパスができるまでは大変な思いでドライブしていたらしんだ。天川へ行く道すがらの道路のガードレールの凹み具合みたらそれは実感できたっていう感じよ。もう、苔むす感じでボコボコ、どれだけ観光シーズンにクルマの接触事故があったか想像できちゃうんだって。大滝のダム工事の169号線も凄かったそうよ。宮前由恵さんのお手紙じゃないけれどもよく谷崎潤一郎先生は三の股などまで道なき道を歩いたもんね。感心しちゃう。いくら『吉野葛』の作品書くためとはいえ、昔の文学者はエライ! と羽琉田筆記はなぜか頬杖ついてHeart StationのPVのようにうつ伏せになり耳はヘッドフォーンをつけているポーズになった。
 そして『筆記NOTET』の奴の駄文を居眠りしているような目と口元をだらしなっくあけそうになりながらも、なにかいちゃっているんだろう、と思うながらも目でおいだした。

《そうあなたに届けられなかった下手なイラストの原画に添えて、わたしが失ったものと格闘する姿を本日まで二日半かかって読んだ『ソフィーの世界』哲学者からの不思議な手紙(ゴースタイン・ゴルデル/須田朗監修/池田理代子翻訳)を読んでわたしの関心はさらに、江上波夫先生の文明論エッセーに行きつくことを理解したのでした。西欧史観≠チて奴。
「ヘーゲルなどは遊牧民族の社会は非常に古くから自由の意識の顕在した世界で、西方のギリシャ・ローマやゲルマンの世界とともに、ひとつの包括的なユーラシア牧民世界を形成していたことが認識されねばならない。」と「古代社会把握・復元の試み」で書いておられる。つまり歴史の復元はヘーゲル以後とちがったものになるということですね。『ソフィーの世界』もブツダには少しふれているが東洋については何も語られていないし歴史、哲学がフロイト・サルトルなどで語られる限界がある。
 この命題はわたしが死ぬまで興味をもつことです。ところで漢字というのは便利な文字だそうですね。(注、凍結文化の梅崎忠司氏の論によれば、漢字の純粋は日本にあり中国は略体、簡体化され、どんどん日本人の読める漢字は減りつつある)。哲学用語はラテン語に由来するのでヨーロッパ語でも翻訳はラテン語に戻さなければならないのですが、日本には漢字があるので? ほとんど訳せるそうです。江上波夫先生はそのことも記しておりました。(中略)
 だって銀河鉄道の夜をイメージした原画は筆記に贈ってしまって手元にはないのだ。? あるのはピカピカのキミ≠フ原画。左肩のデッサンが大まちがいで恥ずかしいけれど? ヘッセの詩はイカス。と思うのですが……。(以下略)とまあ、こんな文章を恋文仕様で発行していたんだけどけれども読んでどう思った。で、『ソフィーの世界』などにかかわると、また迷路のようになるから、歴史認識の問題としてキミのいう、日本は単一民族か?≠ニいうテーマについて、鈴木演芸氏の『古代史魅惑モリモリ』から、一緒に考えてみたいんだけど、いいかなあ。
その前に、中国人つまり江上波夫がいう「農耕民族不死論」から農耕民族と牧畜民族の比較論について要点をみてみよう。江上波夫氏は「北方ユーラシア遊牧民の考古学」をめざしたが、「民族学ないし文化史的立場で考古学の研究を著作集推進された。そういう中から中国を研究する中で「農耕民族不死論」がまとまったという。

(『幻人夢を語る』江上波夫第七巻 月報第七号 昭和六十年八月から)
〈そしてそのそもそもの発端は、北京の古書舗の番頭の一言にあった。そのころ北京に留学して、中国の古書を渉猟しながら、それぞれの研究したがっていた学徒たちは誰でも経験したのであるが、琉璃嚴(ルリャ・セン)や隆福寺(ロン・フー・スー)の古書舗の番頭が毎日書物の入った大きな風呂敷を背負って、入れ替わり立ち替り、下宿先に売りにきたものである。支払いは一年に三回、五月五日、十月十日、十二月末日の節期ごとにすればよいのであるが、懐中に持合せがなくても彼らはけっして催促することなくて、部屋の床一面に書物の山を積んでゆくのであった。そうしたある日、古書舗の番頭の一人が奇妙なことを言ったのである。「あなたのようなまだ年若い人が、このような中国の古書を読んで研究しているのだから、あなたはやがて出世するに相違ない。だから、書物の支払いは十年、二十年先でもよい≠ニいうのである。私はその発言をお世辞と聞いて、真に受けなかったが、その後、北京大学の銭稲孫先生の話で、ある人がその祖父の代に遺した古書舗の借金を今払っているというのを聞いて、先の古書舗の言っているようなことが、中国では現実にあるのかもしれないと思うようになった。」
 その後満州事変が起り、下宿に残った書物の未払い分を払い切れなかった江上波夫氏「私たちの店の本は、為替事情があなた方にとって好転した時にいつでも支払って下さい。十年でも二十年でも期限つけません」といわれ自宅(日本)に郵送されてきたというのです。さらに当時の中国人のエピソードが続く。「満州国政府が国道か何かをつくるために、土地を強制的に買い上げた時、その地主が銅板の地券を作って。そこが自分の土地であることを銘記して、地下に埋めたというのである。その話をしてくれた人が注釈して、中国人はいつかは、満州が自分たちに戻ってくることを信じており、その時に彼の子孫がそこを自分が先祖から譲られた土地であることを証明できるように、今から準備いるのである、と」。〉
すごい話でしょう。「中国民族不死論」って。こんな民族が主流の中国は時間軸が、西洋などと違うのは当然ではないでしょうか。》


だからってさ、何かい、中国人は包容力があるっていう、わたしへのあてつけなの。なんかベガさんとくらべられてるみたいで不愉快になっちゃう。わかちゃってるよ。言わんとするところわね。でも、わたしは来世とかしんじないから。あるのは現世、生きているうちが花なのよ。そんなこと奴≠烽「っていたくせに、しかも何、わたしが何かの発言で日本は単一民族≠ニいったからって、一緒に考えようって、じゃまくさいこという奴≠セけど、多分流しちゃうかもしれないけど、いちおうこれも奴のいいぶんというか奴≠フ影響受けた奴≠フ受け売りっていうかを聞く耳もたないってわけじゃさんだけどさ、なにか奥歯にモノがはさまった感じでお台場のハゼも砂から飛び出そうか目だけだしておこうかとまどっちゃってる感じするのよね。東京湾から遡上してきたボラならわかる。奴らっていうか奴ザカナたちは突然、神田川にも現れたって話題にならなかった? ボラれるのも知らないで。自然回帰とかいっちゃってる場合じゃないのよね、これがそう、3・11以後は東京湾の魚だって汚染されていない保証がないから、確認しないとタレント議員の山崎那彦さんみたいに、一〇〇ベクレル越えておる魚は放射能廃棄物の一〇〇ベクレルと同じで「こんなモノ食べてはいけない」って演説されちゃつたら困るじゃん。わたしは好んで東京湾遡上のボラ食べるつもりはないけれども、それしか晩ゴハンのおかずがなければ食べちゃう。ボラが食えなくて人生いきちゃいられない。羽琉多筆記はなぜか東京湾のボラにこだわり、ボラの生態をサカナ大使に聞きたい衝動にかられそれを我慢していたらさらに不満足つまり欲求不満になり、脱線承知の上で食品の百ベクレルと放射性廃棄物の百ベクレルのちがいについて、調べたりしてから、奴の鈴木演芸氏の説くところについて、読もうとしたのだった。
わたしが調べたところでは山崎那彦さんは放射性廃棄物の低濃度のモノつまり外部被ばくと内部被ばくの食品百ベクレル基準を比べちゃっているところに、根本的にまちがいがあっちゃうからさ、そのあやまちは改めないとせっかく、ほかでいいこといっていても、そんな単純なまちがい公にして恥ずかしくないの、って感じで専門家はもちろん基礎知識ある連中から揶揄されちゃうんじゃないかしらね。
低濃度の放射性廃棄物の一○○ベクレルは
「単純に数字を拾えば、セシウム134・137合算で100Bq/kgなら放射性廃棄物で」って環境省の基準でも書いてあるっていうじゃない。しかも、「資材としてゴミをリサイクルするには基準値を守って。基準値超えたらリサイクルしないで。」っていうじゃない。だったらそれはあくまでもリサイクルしてはいけない放射性廃棄物基準ってことでしょう。わたしが調べたところではあくまでも建築資材のゴミの話ってことなのね。だからさ、「例えばプルトニウム241なら1万Bq/kgが基準値です。同様にFe55(鉄)なら100万Bq/kgです。まず食べ物とは違う世界の話」ってことを説明していらっしゃるブログなどがわかりやすいじゃん。それで食品の百ベクレルに戻ると考え方として食品は食べものだから内部被ばく基準でどうなのよって感じじゃないのかな。『黄昏の森のブログ』様からの受け売りになっちゃうんだけど、食品基準値の100Bq/kgが妥当かどうかは、まず置いといて意味の違いを考えましょう。「資材のリサイクルの場合、kg単位どころかトン単位で身近に使われる事が想定されてます。食品の場合は、「ギャル曽根」じゃない限り1日10kgは食べません。せいぜい数kgでしょう。」ってことでまず放射性廃棄物百ベクレルと食品基準値の単位が違い過ぎる。ここに誤りがある、つまり山崎那彦議員の「ミスリード」があるってことになっちゃうんだけど、
「ちょっと話が逸れましたが、第2条の別表は食品の基準値とは意味合いが違うと感じてもらえたでしょうか。学者風に言えば第2条は外部被曝に関係し、食品基準値は内部被曝に関係する。実際の食品は給食まるごと検査=vを見れば被曝量は凄く小さい。 http://t.co/g24iJ31Tbw
 ってことになっちゃうのよね。だからこんな風にいわれちゃう。
「被ばくを言ったら30秒でCMに」、確かに1分と言われてたのに山崎議員の話が遮られました。これを規制された≠ニ騒いでますが、議員は規制する側なので宜しくお願いします。更に言えば発言には、国会議員としての責任が伴います。根拠を明らかにした話を、まず国会や委員会ですべきでしょう。」ってつっこまれても仕方ないことになっちゃう。ま、こういうつっこまれ方すると、まずいんんじゃないの。と、わたしも思っちゃゃうんだけど。
 奴≠フ書いていることについて読むかどうか疲れちゃった。だっていろいろ言葉の定義ってことになったら、さ、わたしなんかそんなことを深く考えずにしゃべってることもあるしさ、矛盾したこともいっている、怖くなってしゃべれなくなっちゃうんじゃない。でも乗りかかった船、ベガさんに先を越されたプロポーズ、安邑さんには東京ドームで強烈なカウンターパンチ見舞われてKO寸前のピンチに陥ったり、昨年はInterFMでも「マンゴーカキ氷」にやぶれちゃったけど、ことしは再婚はたし余裕の年だ。奴≠ェ手出しできない世界に飛んじゃって振りまくってやっちゃったんだから痛快ではありんす。あっ、最近奴≠フ口グセうつっちゃった見たい。
「横浜スーパーアリーナのみんな用意はいいかい。だらだらと宇宙への旅行くぜ! はやぶさUも宇宙探査にふたたびの時代だ。宇宙は果てしない。宇宙人と形容される羽琉多筆記こんなところでたちどまらないぜ! 出発はやはりTravelingだよ!」
鈴木演芸氏いわく

《日本国は「単一民族国家」ではない。アイヌ民族(注、アイヌ民族論については最近ではアイヌ系日本人の側から、アイヌは部族(種族)間でも言語は相当ちがい、カナダエスキモー族といわないように、イヌイットなど部族名で語られ狩猟などやっている)と日本民族と琉球民族からなる三民族国家≠ナある。似たような例を挙げれば
イギリスがそうである。正式にはグレイとブリテン・北アイルランド連合王国≠ニ呼ばれるこの国は、イングランド民族とウェールズ民族とスコットランド民族とアイルランド民族とでもって構成されている。しかもこの国、大陸のはずれにある島国だという点でもの日本国ときわめてよく似ているので、日本国史の研究者はよろしくイギリス史の研究方法に範を垂を求めるべきだろう。
 あるいはまた、カナダでも、英語とフランス語が公用語として用いられており。スイスでは、ドイツ語。フランス語、イタリア語、レートロマン語が話されている。
つまり、日本人の国史学者や国語学者は外国の事情に疎いので、一つの国の中では一つの言語しか話されないというのが人類にあっては普通のことだと考えているようだが、実情はその逆である。少数民族のまったく存在しない単一民族国家≠捜すほうが困難なくらいである。そしてもし単一民族国家≠ェもっとも望ましい国家のあり方だとすれば、それは、わたしたりの周辺では、朝鮮半島にしか求められないだろう。

ってことで鈴木演芸氏はまず琉球語については一五〇〇年前もくだれば共通語に行きつくというが、だから日本民族の一分枝だという考え方があるが、誤りと指摘していた。「仮に、一五〇〇年前九州島から南下した種族があって、その種族が現在の琉球人の一部を構成しているとしても、それ以前から琉球に住みついていたプレ琉球人≠ニでも呼ぶべき種族は確実に存在したはずである」と記し、a・i・uという三つの母音で日本民族とちがうこと。まあ二番目は琉球は一八七二年まで琉球王国≠形成していた。ま、薩摩に苦しめられたのは事実だけど、王がいた独立国であるのは事実ですね。さらにつけ加えれば「琉球と日本の関係は、いわばオランダとドイツとの関係に近いといえる。いわばオランダとドイツとの関係に近いといえる。話していることばが共通の基語に収斂するからっていって、オランダとドイツとを一つの国にしようとはだれも考えないのと同様、わたしもまた、琉球と日本とは一つの国に含まれるのが自然だと考えないのである。」
鈴木演芸氏はこの本を一七七年四月五日出版しているので、三十五年前にこういう論調で、日本国の教科書検定の制度化を批判し、教科書の古代史の記述がいかにダメかなのかを検証したわけです。》

しかし、アイヌ族は日本人に差別され略奪され、言語を奪われ同化政策で日本国人に組み入れられた少数民族(種族)であることは確かですね。アイヌの天才的言語学者の知里真志保氏なども歴史的な環境を考えてアイヌは日本に同化すべき発言を残しているわけですが、それは差別への生きる知恵としての提言でもあったのでしょうか。こばやしよしのりさんが『ワシムズ 日本国民としてのアイヌ』で書いておられる内容はアイヌについて知らない奴=Aこの奴≠ヘあくまでもわたしが親しみと皮肉を込めていう、歯なしでギョロ目でバセドーは治ったけど糖尿でやせてホオがこけてガニ股歩きでダサいけどどこか憎みきれない、オジンの奴≠ナすから、そこは誤解ないようにね。わたしにはよくまとまった例と思えるのですが、アイヌ史となるとアイヌは蝦夷(えみし・えぞ)か、とかいう歴史的なことにもかかわっちゃうので、何が正しいのかを判断するのはムヅカシイ。だってアイヌの血筋とか血統論になったらそれは、だったら差別の根源である血統こそ命の天皇制をなんであるんだ、ってことになっちゃうんじゃないかな。それが日本の特殊性だとかいいだしたら、それでまた集団的自衛権行使だ。憲法改正などはしなくても、自衛隊の関連法でやっちゃえばいいのだ、ってことになり自衛隊を国防軍化して戦前の「天皇の軍隊」に仕立てあげるのかって周辺諸国、つまり侵略された側は警戒するのは当然ってことになっちゃうから、歯なしの奴≠フ話が広がりすぎてこんがらがっちゃう。
アイヌ語はもともと文字を持たない口承での伝え方なので、アイヌ語≠ニひとくちにくくれないぐらい居住地によって方言っていうかちがいがあったとは、アイヌ系日本人を自認する工芸家の意見です。二風谷の萱野茂氏の努力でその息子さんがアイヌ語教室や学校を作ってがんばっておられますが、アイヌ語の種族や部族の共通語がない以上、いま伝えられるアイヌ語は二風谷アイヌの言語ってことになるのでしょうか。
 ただね奴≠ェ『筆記NOTET』に書いている意外性はね、奴≠ェ創刊しようとしたまぼろしのPR誌のダミーになぜかアイヌ関連の記述も関心があったみたく貼っていたことなのよね。

《ちなみに一八〇〇年に成立した秦憶磨の『蝦夷島奇観』は、約二○○年前のアイヌ民族誌として最良のもののひとつといえるでしょう。この『蝦夷島奇観』はおおくの流布本がつくられ、当時の和人のアイヌ観のよりどころになったものです。最近、この原本が東京国立博物館≠ノ所蔵されているこおtがあきらかになりました。『蝦夷島奇観』とならぶものに『蝦夷国図絵』があります。この系統の写本もおおく現存しています。また現存のもので確実にアイヌをえがいた最古のものは、新井白石の『蝦夷志』です。これは崎波饗が、一七八九年えがいた『蝦酋列像』や、アイヌのゆたかな生活体験をたくみな筆づかいでえがき、最後のアイヌ絵師といわれた平沢屏山の『蝦夷十二ヶ月屏風』などがあげられます。》


 などというのを貼っちゃっているんだけど、奴≠ヘもちろん原典など読むわけないし、奇者論理で二風谷の萱野茂氏のことなどは知っていて、猪名川の新興墓地公園の宣伝の仕事では物件紹介だけでは注目されないと企画提案して墓地紹介のパンフレットから菊判変型の立派な数十頁の企画立てて友人のデザイン事務所に予算捻出させて作り儲け。さらに、チラシでもB4サイズあるいはタブロイド一面チラシにして、物件案内は裏にもって行き、煽りの片面には「わたしたちは何のためにお墓の建てるのでしょう?」というコンセプトで、『日本霊異記』から「雷の岡」のエピソードを拾い上げ、小子部(ちいさこべ)の栖軽(すがる)が雷を捉えに行く故事の版画のイラスト描かせたり、アイヌでは「ウエペケレ」の口承文芸を題材にその話を巧みに散りばめた版画描かせたり、沖縄はニライカナイ信仰や亀甲墓の由来など、本土との違う墓の歴史に言及する民話を題材にしたり、いうならば奴≠フ当時の知的好奇心と実利が一致する印刷物提案して稼いだり、コピーライターっていうのは、ある意味ハッタリが勝負ってことよくわかる職業でそれはやがて来るバルブの先取りと破綻ってことを考えたら、崇敬秀をデッ上げた施主と司法書士もやり手だったってことになるんだろうけどさ、よく、あんなこといいようにいえばプレゼンして通したもんだ。でも、それぐらいのハッタリかまさないと、猪名川の山奥の巨大公園墓地は売れないってことじゃないかな。ま、奴≠ヘ墓地埋めるための提案もあれやこれややった見たいだけど、結局は奴≠ェ山奥の公園墓地のいちばんてっぺんの安い永代供養墓地を購入し墓参りするようになったのがいちばんの宣伝になっちゃったようね。だって奴≠フお母さんは信心深いからさ、摂津に移転してからも、遠く天王寺の一心寺にはもちろん、宗派無視してときには四天王寺さんに、さらに本家の下寺町のお寺の菩提寺まで参り、さらにそこから環状線乗って、大阪でて、阪急川西まででて、墓園のバスで一時間かけててっぺんまできつい階段のぼってお参りまでしたっていうから、ま、親にとっては良かったんじゃないの。わたしは奴≠ゥら『原稿式自由日記』のノートというか小説も贈ってもらっちゃっているからさ、その辺りのことはそれとなくつかんでいるけどさ、いまはいわない。だって、この話さ、『筆記NOTEU』があるんだぜ。ここもはしょったら、なにがなにしてうやむやになんとやらがわかんなくなっちゃうじゃない。しかも、日本は単一民族国家≠ナはない、ってこともうやむやになっちゃうじゃない。そこはしっかり、わたしも反省しないといけないし――。


   五


壊すな築地大行進!
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Like a rolling bean (new) 出来事録さんの呼びかけ

http://ameblo.jp/garbanzo04/day-20090604.html
===ここから切り取り===

築地があふれた!!2009 壊すな築地 6.27 東京大行進II
わざわざ猛毒の汚染地になぜ中央市場?イシハラさん、どう考えてもおかしいよ!

築地市場の豊洲地区への移転事業を即刻中止し、現在地再整備を進めることを求めます!

・移転先に定める豊洲で、新たに強い発がん性物質(ベンゾ(a)ピレン)による深刻な汚染が発覚しました。
ベンゼン 基準の4万3千倍。シアン化合物  基準の930倍も! 
・豊洲は地盤が軟弱で、東京都が計画する対策で表面を糊塗しても、地震が来れば液状化し、地下に潜む汚染が噴き出します。
・築地市場は庶民の食卓を預かる台所、周囲の街並みは世界が認める東京の食文化を象徴する文化的資産そのものです。築地市場の敷地を売り飛ばし、代価を国内最悪の汚染地買収や汚染対策に注ぎ込むことは、都民の財産を破壊してお金に換え、税金と一緒に業者にばらまくことに他なりません。


デモ行進の参加者を募集しています。ご家族づれもおとしよりも、ベビーカーも大歓迎です。(この項つづく)


posted by torayosa at 11:14| 神奈川 ☁| 自伝的実録風小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする